連載:みよし街並み歴史散歩 その44
株式会社 菁文社
弊社が2007年(平成19年)に発刊した「みよし街並み歴史散歩(三次・十日市・八次・酒屋 編)から一コラムづつ連載します。
三次の再発見があるかもしれません。
なお、三次市は周辺町村との合併以後大きく変わりつつあります。発刊時期とのずれがあることはご了承ください。
この「みよし街並み歴史散歩」は、B6判の単行本です。お求めは小社 TEL(0824)62 3057 または 三次市内の書店へご注文ください。
【京蘭寺(きょうらんじ)】 この珍しい地名について説明しましょう。下新町交差点(四差路)を西に進むと、すぐに京蘭寺交差点(三差路)があります。この辺りから寿橋(ことぶきばし)辺りまでが京蘭寺です。橋を渡って国道54号粟屋バイパス(昭和43年・1968完成)に到るまでの道路は新しいものです。
この辺りの地形は江の川へ馬洗川が合流し、その上に北溝川の出口にも当たり、洪水のたびに流路が変わり、河道が定まりにくい所でした。従って自然堤防の形成が遅れ、耕地の確保がしにくく「京蘭寺」の地名も、おそらく河川が狂乱怒涛(きょうらんどとう)することからきた地名かも知れません。一見、雅(みやび)な地名に見えますが、河川との厳しい闘いによって開発された人間の歴史を物語る地名のようです(一説には教蘭寺というお寺が寺戸から流れ着いたからとも云います(『三次町国郡志』)。
【雲石街道】 下新町交差点へ戻りましょう。北溝川へかかる胡橋を渡ると、ここから踏切までは胡町です。そのまま旧国道を進むと西三次駅へ向かいます。
ここでは左側の市道へ入ります。この道が江戸時代の雲石街道(出雲、石見)で下原、植松(うえまつ)、西酒屋(さけや)、西酒屋船所(ふねぞ)へと続くルートです。云わば江戸時代の五四号線です。
胡町第二踏切を渡ると、道端に江戸時代のこの地区出身の相撲取り・朝尾山力之助(あさおやまりきのすけ)の墓があります。さらに下原地区のほぼ中央を南に進むと片丘川にかかる坂根橋(さかねばし)に至ります。橋の上から見ると、左の小高い丘の上に鷺(さぎ)神社、右の山の中腹には沼城跡が見えます。鷺神社は〝さぎのこさん〟の愛称で親しまれ、主には十日市町の西部地域の住人の氏神さんです。この神社には珍しい特別神事があります。世量酒(よはかりざけ)といい自家製の白酒(ドブロク)の出来具合によってその年の豊凶を占うもので、正月の神事です。
沼城とは、中世期に原村(十日市町)を支配していた三吉氏の一族である原氏の居城跡です。系図によると、原五郎政家その子次郎保家などの名前がみられます。城は戦国時代後期のもので、一部同心円型と階段式のものが組み合わされたものです。なお山城跡への登山は一般には見通しのよい秋から冬にかけてがよいでしょう。
坂根橋を渡ると植松地区です。急に坂道となり、これが火打坂(ひうちざか)で坂根峠へかかります。
【片丘川(かたおかがわ)】 この川についてここで説明しましょう。
この川は西酒屋町の成光池(なるみついけ)を水源とする人工川です。成光池は西酒屋町の大部分の雨を集めて十日市町の潅漑用水となります。しかし水深が浅く少しの雨でも水があふれ、北溝川が氾濫していたのです。片丘川は成光池と十日市町の治水対策の一つとして造られたもので、戦前に片岡 保町長の時、昭和8年(1933)から8年の歳月を費やして完成させたものです。成光池から一旦、大樽池に落とす川の造成は難工事だったということです。散歩をかねて川端の堤防を歩き、昔の人の苦労をしのんでみてはいかがでしょう。なお、現在では、成光池の水は他にも排水用のトンネル(片丘川放水路・1981完成・1,962メートル)によって西三次駅の南側で江の川へ排水もしています。
◇ ◇ ◇
・・・つづく
基本情報
| 名称 | 株式会社 菁文社 |
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| フリガナ | 株式会社 菁文社 |
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| 住所 | 728-0023 三次市東酒屋町306-46 |
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| アクセス | 国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m |
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| 電話番号 | 0824-62-3057 |
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| ファックス番号 | 0824-62-5337 |
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| メールアドレス | geibigrf62-3057@seibunsha-f.com |
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| 営業時間 | 8:30~17:30 |
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| 定休日 | 土・日曜、祝日 |
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| 駐車場 | あり |
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