連載:みよし街並み歴史散歩 その38
株式会社 菁文社
弊社が2007年(平成19年)に発刊した「みよし街並み歴史散歩(三次・十日市・八次・酒屋 編)から一コラムづつ連載します。
三次の再発見があるかもしれません。
なお、三次市は周辺町村との合併以後大きく変わりつつあります。発刊時期とのずれがあることはご了承ください。
この「みよし街並み歴史散歩」は、B6判の単行本です。お求めは小社 TEL(0824)62 3057 または 三次市内の書店へご注文ください。
【三次駅周りから太歳・上原方面へ】
十日市町は三次町に比べて新しい町です。町制の施かれたのも三次町はすでに明治18年(1885)には上里村全体を三次町にしていますが、十日市町は大正6年(1917)にようやく原村の全体に町制を施きました。三次町に比べ32年も後でした。
さらに十日市町の中でも、駅周辺は昭和になって備後十日市駅を中心に開けた所であり、太歳・上原地区は十日市の本町や新町に対して周辺部で、かつては新鮮な野菜や草花などを供給する近郊園芸農業地域としての役割をもち、田畑も多かったところです。
しかし、駅周辺は現在計画中の駅前再開発事業が実施に移されれば、大きな変化が予想され、太歳(ださい)・上原(かんばら)地区は、今は住宅地域に変わっていてアパートやマンションも多く、さらに三次市の福祉センターや図書館、それにケーブルビジョンの社屋や防災ステーション(国土交通省・三次市)も完成し、十日市町の新しい〝顔〟に変わりつつある地域です。
【三次駅】 この駅名は昭和29年(1954)、2町8ヵ村が合併した昭和の大合併の時、三次市が誕生し、その年に「備後十日市駅」を改めたものです。その備後十日市駅は戦前、昭和8年(1933)、国鉄が私鉄の芸備鉄道を買収した時、その三年前に新設されていた十日市駅を改めたのです。
この備後十日市駅は、次の二つの点で他の駅とは異なる特色をもって発展した駅です。その一つは、乗換駅ということです。昭和13年(1938)に開通した福塩(ふくえん)線、戦後に開通する三江(さんこう)線、さらに雲芸(うんげい)線という国鉄バスが出雲今市(出雲市)へ通い、それに駅前は私鉄各社のバスの発着場となったために、乗降客が特別多い駅だったのです。
二つ目は、芸備線(広島〜備中神代(こうじろ)、159.1キロメートル)のほぼ中間点に当たる駅で、拠点駅としての機能をもっていました。拠点駅とは、乗降客を扱う普通の駅務の他に、機関区、保線区、車掌区、客貨車区等々が設けられ、路線全体の保守・管理を担わされていたのです。そのために多くの職員(駅員)が勤めていました。昭和30年代の最大時には駅務だけでも100人を超え、各区を合わせると500〜800人はいたと推定されます。
今、駅周辺を歩いても、その当時の面影は殆どありませんが、構内に列車の引き込み線が多いのはその一つの名残りで、また、機関庫の跡あたりには今も小さく枝分かれした線路が雑草のなかに残っています。特に「転車台(てんしゃだい)」は朽ち欠けながらもその姿をとどめ、駅の全盛時代がしのばれます。この転車台はローカル鉄道の近代化遺産であり、文化財として保存したいものです。
駅前にはバス会社の営業所やタクシー会社もあり、各種の商店が並び駅前商店街といわれるものでにぎわっていました。飲食店が多く旅館も数軒ありました。朝夕の通勤通学客が集う時間帯はまさにラッシュアワーとなり、三次駅は「三次の玄関」であり「三次の顔の一つ」といってもよいところでした。
【旧道と国道】 三次駅前の東西道路は、駅の東側は片側二車線ですが西側では一車線となり、なんともチグハグで、自動車では走りにくい道路となっています。これは写真でもおわかりのように、狭い西側は戦前からあった古い道路を拡げたもので、これに対して東側は、戦後、昭和40年代の自動車時代になってから新たに造られたものだからです。
そのためか昭和30年代まで、駅から上原方面への近道として耕地のなかの狭い町道を歩くルートがありました。現在は新国道ができたりサングリーンの進出により、古い道は姿を消してしまいましたが、僅かにサングリーンの駐車場の東側にその一部と思われる小道が町道として残っていて、その先の北溝川にかかる救橋(すくいばし)を渡って更科食堂の西側で旧国道に出る市道がこのルートです。旧制の三次中学生や昭和30年代までの三次高校生で列車通学をしていた人には懐かしい道のはずです。
【「救い伝説」と岡竹】 救橋がありましたので、ここで救い伝説についてお話しをしておきましょう。「救い」は岡竹地区内の小地名です。この地域は岡竹丘陵が舌のような形で伸び、鉄道の切りとおし辺りからホテルの駐車場、その下の花屋さん、国道を越えて三次郵便局や家具屋さん辺りまでを含んでいる地名です。その昔、この辺りを馬洗川が流れ、大きな渕になつていました。その渕の底から偶然に仏像を救い上げ、近くに祀ったというのです。その祠(ほこら)は今でも近くにあります。
もう一つは、岡竹丘陵は、昔はうっそうとした森林におおわれていました。山賊が住み近所の人や旅人を恐れさせていました。これを領主の三吉の殿さんが征伐し、人々を救ったのです。伝説はこれらの故事によるものです。
◇ ◇ ◇
・・・つづく
基本情報
| 名称 | 株式会社 菁文社 |
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| フリガナ | 株式会社 菁文社 |
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| 住所 | 728-0023 三次市東酒屋町306-46 |
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| アクセス | 国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m |
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| 電話番号 | 0824-62-3057 |
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| ファックス番号 | 0824-62-5337 |
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| メールアドレス | geibigrf62-3057@seibunsha-f.com |
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| 営業時間 | 8:30~17:30 |
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| 定休日 | 土・日曜、祝日 |
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| 駐車場 | あり |
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