連載:みよし街並み歴史散歩 その37
株式会社 菁文社
弊社が2007年(平成19年)に発刊した「みよし街並み歴史散歩(三次・十日市・八次・酒屋 編)から一コラムづつ連載します。
三次の再発見があるかもしれません。
なお、三次市は周辺町村との合併以後大きく変わりつつあります。発刊時期とのずれがあることはご了承ください。
この「みよし街並み歴史散歩」は、B6判の単行本です。お求めは小社 TEL(0824)62 3057 または 三次市内の書店へご注文ください。
【寺戸のモッコク(市天然記念物)】 廃寺跡や集落のある台地より更に一段高くなった山裾に一本の老樹が、町を見下ろすように立っています。これが市天然記念物のモッコクの樹です。
この一帯はひっそりとして、こぢんまりした平地になっていますが、ここは寺戸七面山延身寺の跡です。モッコクの樹もこの寺院の境内に植えられていたものでしょう。今では寺院建築の遺構は何も残っていませんが、後ろの急斜面に七面大明神を祀った「七面堂」があります。「七面さん」と呼ばれて信仰されており、例祭も行われております。
東に進むにつれて、平坦地はしだいに狭くなります。そして大きく蛇行する馬洗川が山ぎわまで迫って来ているので、旧道も県道(農免道)と一緒になります。
平坦地のくびれた所を過ぎると、平地はだんだん広がり始め、広い畠敷の平地につながっていくのです。旧道はまた県道から分かれて山裾にそって始まりますが、この辺りはまだ寺戸の内で、願万寺という地名です。
【地名になった廃願万寺】 願万寺について書かれた古い書物(『上里村国郡志』)を見てみると、昔はこの辺りは寺戸原と呼ばれた荒野原で、馬洗川の深い渕に沿ったとても淋しい所だったそうです。この渕で度々水難事故があるので、水難除けにお寺を建てることになり、畠敷の岩屋寺の末寺として願万寺を建てたのです。
後年、この寺は廃寺となってしまいましたが、その頃からこの地を「願万寺原」と呼ぶようになり、さらに「願万地」となり、そして現在の「願万寺」になったということです。
ふるさとの味
三次といえば鮎だろう。巴橋を十日市に渡り、弁天さんに向かって左へ折れると、鮎寿司の『鮎共販』がある。両親は夏の挨拶に、よく用いていたが、ある時、広島の造船所からトルコへ技術指導で赴任した知人に送ろうとして、日数がかかるので、「うるか」で代用したことがある。「うるか」は鮎の内臓の塩漬けだ。瓶詰めは医学標本のようで、お世辞にも見て心地の良いものではない。それが向こうの税関で止められ、本人の手に渡るまで数ヶ月かかったそうだ。昭和30年代の話である。酒のあてには好む者も多く、大学時代に広島の友に求められ、夏休みの土産に買って行ったことがある。
県北のワニも知られている。「三次ではワニを食べるのか?」と、広島の者に訊かれても、今ではサメと知って、お約束で問う者が多い。サメは尿酸を肉に多く含み、傷むのが遅い。それで山あいの県北に運ばれる数少ない海の幸であるらしい。子供時分、「腹が冷(つべ)とうなるほどワニを食っていんずかあさい」という、古老の言葉を耳にしたものである。昭和3、40年代にはワニは県北ではまだ、盆正月に親戚のつどう席でのハレの料理だった。
後にぼくはサメとワニの関係を知った。サメと言えば、半ば出雲文化につかって育つぼくらには、サメの背中をぴょんぴょん跳ねて海を渡る、あのずる賢い白ウサギを連想せぬわけにはいかない。同類の話は東南アジアにあり、そこではウサギは猿、サメはワニで伝
えられているという。そう言えば、サメを並べて渡ろうとは、誰も思いつかないが、ワニならさもありなん。それが朝鮮半島を渡って日本へ来たという。
半島から渡来したタタラの人と、三次・吉田の関わりは司馬遼太郎の『街道を行く二十一』(朝日文庫)でも論じられている。三次、木次の「次」に、古代朝鮮語の「村」と共通するスキの音を当てる説もあり、わがふるさとは古代の十字路だったことをしのばせる。
◇ ◇ ◇
・・・つづく
基本情報
| 名称 | 株式会社 菁文社 |
|---|
| フリガナ | 株式会社 菁文社 |
|---|
| 住所 | 728-0023 三次市東酒屋町306-46 |
|---|
| アクセス | 国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m |
|---|
| 電話番号 | 0824-62-3057 |
|---|
| ファックス番号 | 0824-62-5337 |
|---|
| メールアドレス | geibigrf62-3057@seibunsha-f.com |
|---|
| 営業時間 | 8:30~17:30 |
|---|
| 定休日 | 土・日曜、祝日 |
|---|
| 駐車場 | あり |
|---|
| 関連ページ | ホームページ
|
|---|
| こだわり | |
|---|