連載:みよし街並み歴史散歩 その34
株式会社 菁文社
弊社が2007年(平成19年)に発刊した「みよし街並み歴史散歩(三次・十日市・八次・酒屋 編)から一コラムづつ連載します。
三次の再発見があるかもしれません。
なお、三次市は周辺町村との合併以後大きく変わりつつあります。発刊時期とのずれがあることはご了承ください。
この「みよし街並み歴史散歩」は、B6判の単行本です。お求めは小社 TEL(0824)62 3057 または 三次市内の書店へご注文ください。
【伝キリシタン灯籠と「三次小唄」碑】 尾関山の南麓、江の川が大渦(おおうず)という渕になっている所に建っています。伝キリシタン灯籠(市重文)はもと西江寺にありましたが、キリシタン弾圧を避けるために大渦の川中に捨てていたものを拾い上げたと伝えています。石材は赤御影石(あかみかげいし)で高さ78センチ、火袋を欠き傘石と竿石が残っています。竿石の文様は『ラテン語で「父」を表わすPATRI《パートリー》のP・T・Iを巧妙に文様化したものです』(『三次市の文化財』1992年・三次市教育委員会編)。これは隠れキリシタンが礼拝したものとしていますが、これについて、これは織部(おりべ)灯籠とよばれる茶庭系石灯籠であり『大正末年ごろからこれを潜伏キリシタンの礼拝物とする説が生じた。竿の張り出しを十字架の変形とし、そこに時々刻まれる意味不明の記号化したものをキリシタンに関係づけ、下方に長身像のあるものを宣教師像などと称するが、何らの根拠はない。キリシタン文化の専門学者もキリシタン灯籠説は信じていない』(『国史大辞典』1983年・吉川弘文館)と否定する説があります。
伝キリシタン灯籠のすぐそばに「三次小唄碑」があります。
♪三次よいとこ眺めてみよし すんで住みよし人ごころ
尾関お山の散る花のせて 今日もまた浮く歌仙鯉
松になりたやあの松原の 殿の情の老ひの松
忘られましょうか三次の冬が 主と巴の雪見酒
右はその「三次小唄」(西条八十(やそ)作詞・中山晋平(しんぺい)作曲)の一節です。
昭和のはじめ日本は農村を中心に深刻な不況を迎え、都会には退廃的な「エロ・グロ・ナンセンス文化」が流行していました。そういった中で民衆の漠然とした社会不安を吹き飛ばすように、音頭(おんど)や小唄などの「ご当地ソング」が各地で流行しました。三次でも昭和5年(1930)4月、西条・中山両氏を招いて作ったのがこの小唄です。
その披露会は同月24、5日の両夜三次劇場で行われ、振付が藤間勘四愛(東京)・中山晋平(同)、衣装は高島屋製、三次検番芸者総出という豪華さでした。
◇ ◇ ◇
きりしたん文化
きりしたん灯籠の話は子供の頃から、よく聞かされた。その頃は「きりしたん」という言葉にひきずられ、ぼくの中でも隠れキリシタンと安易に結びついていた。ところが次第に安土桃山時代の南蛮貿易が、日本に多くの異文化風俗をもたらしたことを知り、本来は信心用具であったロザリオやクルスを、出雲の阿国や千利休が当たり前に身に帯びる姿絵をいくつも目にした。今の日本と少しも変わらない。十字架を首から下げているからといって、当人がクリスチャンとは少しも限らない。つまり「きりしたん」は、ヨーロッパ文化と初めて出会った時代のファッションなのだ。キリスト教が禁止されたからといって、こうしたモードを隅から隅まで排除し尽すことはできない。隠れキリシタンを暗示する信心具なら、観音に見立てた聖母像だったり、キリストの絵姿など、もっと祈りの対象となる姿をとったことだろう。
◇ ◇ ◇
・・・つづく
基本情報
| 名称 | 株式会社 菁文社 |
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| フリガナ | 株式会社 菁文社 |
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| 住所 | 728-0023 三次市東酒屋町306-46 |
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| アクセス | 国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m |
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| 電話番号 | 0824-62-3057 |
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| ファックス番号 | 0824-62-5337 |
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| メールアドレス | geibigrf62-3057@seibunsha-f.com |
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| 営業時間 | 8:30~17:30 |
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| 定休日 | 土・日曜、祝日 |
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| 駐車場 | あり |
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