連載:みよし街並み歴史散歩 その35
株式会社 菁文社
弊社が2007年(平成19年)に発刊した「みよし街並み歴史散歩(三次・十日市・八次・酒屋 編)から一コラムづつ連載します。
三次の再発見があるかもしれません。
なお、三次市は周辺町村との合併以後大きく変わりつつあります。発刊時期とのずれがあることはご了承ください。
この「みよし街並み歴史散歩」は、B6判の単行本です。お求めは小社 TEL(0824)62 3057 または 三次市内の書店へご注文ください。
寺戸辺り
寺戸という所は、北側は「船佐山内衝上断層(ふなさやまのうちしょうじょうだんそう)」(国天然記念物)のけわしい山、西側は西城川、南から東へかけては馬洗川で区切られた三角形の地形です。もっとも、厳密に言えば、この三角形の地形のそとに、東に向って広がっている願万寺という所があります。
寺戸の平地の大半は、西城川と馬洗川の合流点にできた沖積平地が占めています。集落は断層崖の裾にできた台地に発達していましたが、現代では堤防の完備などで町は南に広がっています。
古来「テラド」の地名には、寺途・寺渡・寺土そして寺戸と様々な文字が当てられて来たようです。この地には古代の寺戸廃寺だけではなく、中世・近世を通じて寺院や庵がたくさんあったと伝えられており、それが地名の起こりだとされています。
また、近世には「三次八景」が創られ、その一つに「寺戸夜雨」としてこの寺戸が挙げられ、文人墨客に親しまれてきました。
三次盆地の北辺を縁取る山並(衝上断層)の裾に沿って東西に貫通する道路、県道四三四号・和知三次線は、地元では「農免道(のうめんどう)」と呼ばれ、昭和45年(1970)の開通以来、交通量の多い道路です。
この道路より更に山寄りに旧道がありますが、今回はこの旧道を歩きます。
【旭 橋】 三次町本通り、恵比須(えびす)神社前の三叉路を東に進むと旭橋があります。この旭橋が寺戸への出入り口となったのは大正14年(1925)、最初の旭橋が 現在の歩道橋の位置に架けられてからのことです。それまでは百数十下流の才ヶ瀬(さいがせ)橋が利用されていました。この橋は明治42年(1909)に架けられたものですが、それ以前は渡し舟で、才ヶ瀬渡しと呼んでいました。
明治42年の才ヶ瀬橋ができる以前にも、橋が架けられた時期もあったようですが、正式の橋ではなかったらしく、江戸時代の古い地図を見ると、橋が描いてあるものや渡し舟となっているものなど色々です。
才ヶ瀬は三吉氏の時代には西ヶ瀬(さいがせ)と書かれています。当時畠敷を中心にしてみると、西方に当たるので西の字をあてたものですが、浅野長治の時代になってから、忠実な渡し守(わたしもり/渡し場の船頭)才兵衛の名を取って「才ヶ瀬」と定めたとも伝えられています。
【甲斐庵(かいあん)跡】 旭橋を渡るとすぐ左手、上水道配水池のある山の麓に甲斐庵跡があります。甲斐庵というのは、忠臣蔵でおなじみの菅谷半之丞(すがやはんのじょう)が、討ち入りまでの何ヵ月かを、隠れ潜んで過ごした庵(いおり)のことです。菅谷半之亟が三次へ来たのは、半之亟の兄、岡本松之助が住んでいたことや姉の嫁ぎ先が三次であったことによるものでしょう。
また、別の書物『上里村国郡志』には、由来不明としながらも、寺戸の浄福寺(廃寺)脇に、寺坂吉右衛門(てらさかきちえもん/四十七士の一人)の墓があると記してあります。真偽のほどはともかくも、瑤泉院(ようぜいいん)のお国許(くにもと)である三次に、忠臣蔵関連の逸話が色々あっても不思議ではありません。
◇ ◇ ◇
・・・つづく
基本情報
| 名称 | 株式会社 菁文社 |
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| フリガナ | 株式会社 菁文社 |
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| 住所 | 728-0023 三次市東酒屋町306-46 |
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| アクセス | 国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m |
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| 電話番号 | 0824-62-3057 |
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| ファックス番号 | 0824-62-5337 |
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| メールアドレス | geibigrf62-3057@seibunsha-f.com |
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| 営業時間 | 8:30~17:30 |
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| 定休日 | 土・日曜、祝日 |
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| 駐車場 | あり |
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