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三次の地域情報サイト「まいぷれ」三次市

連載:みよし街並み歴史散歩 その29

株式会社 菁文社

 弊社が2007年(平成19年)に発刊した「みよし街並み歴史散歩(三次・十日市・八次・酒屋 編)から一コラムづつ連載します。
三次の再発見があるかもしれません。
 なお、三次市は周辺町村との合併以後大きく変わりつつあります。発刊時期とのずれがあることはご了承ください。
  この「みよし街並み歴史散歩」は、B6判の単行本です。お求めは小社 TEL(0824)62 3057 または 三次市内の書店へご注文ください。

【吉祥院(きちじょういん)】 真言宗。妙栄寺の西の少し上がった所にあり、大同年中(806〜09)の創建と伝える古刹(こさつ)です。昔は比熊山南麓一帯に4町4方の広い寺域をもつお寺で、現在の鳳源寺や妙栄寺はそれをさいて建てられたお寺です。
 本堂裏の一段高い所に黒田正暉(まさてる)の墓(大正5年、58歳没)があります。彼は愛媛県の人で、明治18年(1885)工部大学(後の東京大学工学部)を卒業後、官営「広島鉄山」の落合作業所(布野町)へ赴任し、これまで1回ごとに作り直していた粘土製の溶鉱炉に代わって、何回も繰り返して使える我が国最初のレンガ製の溶鉱炉を建設するなど、砂鉄を原料とするたたら製鉄業の近代化に心血をそそいだ人です。彼はわが子の名前にも鐵太郎と名付けています。晩年は三次町に移り住み、住吉町の住吉神社の玉垣には寄付者としてその名前を残しているところから、三次を永住の地と心に決めていたのでしょう。

【鳳源寺(ほうげんじ)】 臨済宗。吉祥院の墓地から足元に気を付けて小道を西へ下ると、鳳源寺の墓地へ出ることができます。鳳源寺は浅野長治(ながはる)が三次5万石の大名となった翌年の寛永10年(1633)に、父長晟(ながあきら)ならびに先祖のために建てた三次浅野家の菩提寺です。本堂大屋根の紋章(違鷹羽/たがいたかのは)は浅野家の家紋でもあります。
 本堂の裏側へ回ると愚極泉(ぐきょくせん/菩薩泉とも)という池があります。裏山を借景(しゃっけい)に取り入れた三次随一の名園です。とくに池の蓮が花を付ける初夏が見ごたえがあります。

【忠臣蔵と鳳源寺】 このお寺には、忠臣蔵にまつわる史跡や伝説がいくつか残っています。
 境内のしだれ桜の老木は、長治の娘阿久利(あぐり)姫が延宝4年(1676)赤穂藩主浅野内匠頭(たくみのかみ)へ嫁ぐため三次を発ったとき、迎えにやってきた大石良雄手植えの桜と伝えています。しかし、この時大石はまだ17歳で、赤穂藩を代表する立場にはありませんでしたので、この桜は「伝説のしだれ桜」といえるでしょう。

築山は山を取り入れて桜あり寺房(じぼう)にとおるうぐいすのこゑ
  古りのこる枝垂桜(しだれざくら)や血筋(ちすじ)はやく絶えし国守(こくしゅ)の菩提寺(ぼだいじ)の庭
  師直(もろなお)の懸想(けそう)のひとの生ひ立ちし館のさくら咲きいでにけり≫
  中村憲吉(昭和6年『軽雷集以後』)

 本堂左側の石段を登ると義士堂と瑤泉院像があります。四十七士の木像を刻んだ義士堂は、町内の藤原藤太郎が1年6ヵ月を要して彫り上げ、昭和5年(1930)にお寺に納められたものです。討ち入り前に三次へ身を潜め、時節到来(じせつとうらい)を待っていた菅谷半之丞(すがやはんのじょう)像も前から三段目の列にみられます。
 義士堂の上の土塀で囲まれた10坪ばかりの墓地の中に瑤泉院の遺髪塔(いはつとう)があります。彼女は元禄14年(1701)江戸城での刃傷事件のあったその夜落飾(らくしょく/髪を落とすこと)して瑤泉院(ようぜいいん)と称し、江戸の三次藩屋敷に隠棲(いんせい)し、ひたすら亡き夫の菩提(ぼだい)を弔(とむら)う生活を送っていましたが、正徳4年(1714)45歳で死去しました。遺髪塔はいかにも女性のものらしい可憐(かれん)な感じがします。その隣にある墓は15歳で没した彼女の姉兼姫のものです。また右側には長治の父長晟の七回忌にあたり建立した神道碑があります。木製の大亀に乗るこの碑文は有名な儒学者堀杏庵(ほりきょうあん)の撰です。
 遺髪塔の横の小道をほんの少し行くと、右側に落合与左衛門( 〜1723)の墓がひっそり建っています。彼は三次浅野藩士で、阿久利姫が生まれると彼女の「お守役(もりやく)」に任命され、阿久利姫が浅野長矩へ嫁ぐのにも従い赤穂藩士となり、「奥様衆、二百石江戸扶持六人」(『赤穂分限帳』)として彼女の世話係になっていました。事件後、彼女が三次浅野家江戸屋敷へ戻ったのにも付き添い、再び三次藩士となり「用人」として彼女が死ぬまでずっと仕えました。彼の一生は阿久利姫に仕えた境涯であったといえ、彼女の死によりその任務は終わり、ふるさと三次へ帰り余生(よせい)を過ごしたのでしょう。瑤泉院の遺髪も彼が江戸から持ち帰り鳳源寺へ納めたものかも知れません。

・・・つづく

基本情報

名称株式会社 菁文社
フリガナ株式会社 菁文社
住所728-0023 三次市東酒屋町306-46
アクセス国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m
電話番号0824-62-3057
ファックス番号0824-62-5337
メールアドレスgeibigrf62-3057@seibunsha-f.com
営業時間8:30~17:30
定休日土・日曜、祝日
駐車場あり
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