連載:みよし街並み歴史散歩 その10
株式会社 菁文社
弊社が2007年(平成19年)に発刊した「みよし街並み歴史散歩(三次・十日市・八次・酒屋 編)から一コラムづつ連載します。
三次の再発見があるかもしれません。
なお、三次市は周辺町村との合併以後大きく変わりつつあります。発刊時期とのずれがあることはご了承ください。
この「みよし街並み歴史散歩」は、B6判の単行本です。お求めは小社 TEL(0824)62 3057 または 三次市内の書店へご注文ください。
【芸者衆が建てた御籠屋清三郎(おかごやせいざぶろう)の墓】 今日は坂道を上りきらず、途中から左の石段を下りて昔の道に入ってみましょう。
右手の町並みは松原通りに面して法面(のりめん/土手の斜面)に建てられているので、こちらからは家の裏を見せています。左手の家並みは6、7軒で途切れ墓地となりますが、その墓地の二つ目くらいに、ちょっと変わった形のお墓があります。
それは古い自然石の台石に新しい墓石が載っており、「御籠屋清三郎」と大きく彫られています。墓石の側面には「文化十年七月十六日歿」とあります。更に珍しいことには、大きな台石の正面に右から「げいこや中」と大きく彫りこまれ、更に「世話人」として芸者さんの源氏名と思える名前が13人分書かれているのです。
「げいこや」は「芸子屋(げいこや)」で「中」は団体など示す「社中」「連中」の中です。傍に墓碑の由来を書いた石碑があり、それによると、原村(十日市)に道場を構える剣術師範御籠屋清三郎が試合上の逆恨みから、松原で闇討ちに遭い憤死したことに対し、芸者衆が哀悼の志により建てられたものということです。
それにしても、憤死した男は他にもいたでしょうに、大勢の芸者衆の同情をかった御駕籠屋清三郎の人物像がもっと知りたいものです。
ちなみに本来の墓碑は本書「比熊山山麓の神社と寺院」で紹介しました妙栄寺の境内に移設されています。
また少し行くと右手に狭い石段が2ヵ所あり、松原通りに通じています。川原の石を積んで造られた石段ですから侵食されて丸くなった石ですが、三次の町が出来て以来、何百年もの間、悲喜こもごもの思いを抱いた人たちが、上り下りして磨り減った石です。とりわけ花街になってからは、不遇な女性たちの涙が沁みた石段でもありましょう。
・・・つづく
基本情報
名称 | 株式会社 菁文社 |
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フリガナ | 株式会社 菁文社 |
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住所 | 728-0023 三次市東酒屋町306-46 |
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アクセス | 国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m |
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電話番号 | 0824-62-3057 |
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ファックス番号 | 0824-62-5337 |
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メールアドレス | geibigrf62-3057@seibunsha-f.com |
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営業時間 | 8:30~17:30 |
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定休日 | 土・日曜、祝日 |
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駐車場 | あり |
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