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三次の地域情報サイト「まいぷれ」三次市

連載:みよし街並み歴史散歩 その11

株式会社 菁文社

 弊社が2007年(平成19年)に発刊した「みよし街並み歴史散歩(三次・十日市・八次・酒屋 編)から一コラムづつ連載します。
三次の再発見があるかもしれません。
 なお、三次市は周辺町村との合併以後大きく変わりつつあります。発刊時期とのずれがあることはご了承ください。
  この「みよし街並み歴史散歩」は、B6判の単行本です。お求めは小社 TEL(0824)62 3057 または 三次市内の書店へご注文ください。

【松原公園と住吉神社】 家と家に挟まれた石段の細道を登りきると、ぱっと明るく開けて松原通りに出ます。昔はこの通りは、本通りよりやや広いかと思われる程度の道幅で、東側は高さ3〜4メートルの石垣になっており、その下に広い広場がありました。そこには浅野長治(あさのながはる)が丹後(たんご)の国から取り寄せ植えたと伝えられる松並木が、巨樹となって10本近く残っておりました。「松原」地名の由来でもあります。
 この広場は江戸時代は城下町三次の玄関口であり、重要な場所で藩の船蔵もありましたが、近代以降は色々な催しに使われてきました。人々の記憶に残るところでは消防出初式会場、旅のサーカスが大きなテントを張っての興行、三次駅伝のゴール地点、メーデーの会場、等々ですが、なんといっても最高の人出は、対岸の弁天さん(現在は上流に移転しています)の“おかげんさん”(管弦祭)でした。たくさんの夜店が並び、照明のカーバイトの匂いが辺りにただよい、多くの人で混雑し、花火見物の客は河原にまで満ちておりました。
 住吉神社は位置はそれほど変わっていませんが、現在の車道と堤防の部分が道路より3〜4低い平地でしたから、拝殿の正面には15段ばかりの幅の広い石段がありました。
 住吉神社は、もとは寺戸(てらど)にあったものを、文化11年(1814)に松原に移したと伝えられています。慶応元年(1865)頃、福山藩の絵師藤井松林(しょうりん)が三次町をスケッチしたものが残っていますが、その絵や古地図を見ると、後世の巴橋西詰少し上手あたりに、木製朱塗りの大きな鳥居があり、そこから住吉神社前までが松並木が一列に並んでいて、並木の右側が住吉神社の石段、左側は町へ入る広い石段で木戸があり番所があったのです。
 そんな「松原」が今のようにすっかり形を変えることになった一番のきっかけは、昭和33年ころのあいつぐ大洪水ですが、特に、昭和47年(1972)の豪雨災害では三次市はそれまでの治水政策や防災計画の概念を覆すような大災害を被り、大規模な河川改修に迫られたのです。三次町独特の古都の情緒を残した旭町と松原は、文化財保護か防災か苦渋の選択の結果、現状のようにすっかり変わったのです。
・・・つづく

基本情報

名称株式会社 菁文社
フリガナ株式会社 菁文社
住所728-0023 三次市東酒屋町306-46
アクセス国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m
電話番号0824-62-3057
ファックス番号0824-62-5337
メールアドレスgeibigrf62-3057@seibunsha-f.com
営業時間8:30~17:30
定休日土・日曜、祝日
駐車場あり
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