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新連載:ふるさとの峠と街道 その1

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新連載:ふるさとの峠と街道 その1
 前回まで掲載しました「みよし街並み歴史散歩」は58回をもって終了いたしました。今回から「ふるさとの峠と街道」を掲載します。
「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの街道 として2部構成でお届けします。
 第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
   このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。

         【赤 名 峠(あかなとうげ/双三郡布野村)その①】
            ― 国境(くにざかい)としての ―

 旧道の赤名峠に立っている。標高600メートル、人影は全くない、静かだ。
 雉子(きじ)が、けたたましく鳴いて、峡をよぎる。その後は、また、もとの静けさにもどった。
 峰の松林に風が吹きつけている。その音が人のささやき声に聞こえたり、時には雄叫(おたけ)びにも聞こえて、薄気味が悪い。本当に静かだ。
 明治21年(1888)完成した旧道を、地元の人は「大曲り」という。いくつものカーブが山腹を走り、谷は深い。その頂上が赤名峠であり、広島・島根の県境をなしている。
 この峠を、たくさんの人が、さまざまな想いを抱いて越えたことであろう。たくさんの荷物が、いろいろな交通機関によって、各地へ運ばれて行ったことであろう。
 しかし、今、県境を示す標柱は倒れかかり、その文字は風雪にさらされて判読できない。“境”としての赤名峠は、もうその機能をなくし、人々の記憶からしだいに薄れて行っているようだ。
         *
 赤名峠の歴史は古い。奈良時代に、中央政府の命を受けて編纂された『出雲国風土記(いづものくにふどき)』には、飯石郡の条に、次のような文が見られる。
「……三次の郡の堺なる三坂(みさか)に通るは八一里なり。径、常に剗(せき)あり」
 この部分は、郡元からの里程を説明したところである。この「三坂」が今日の赤名峠であろうといわれている。
「剗」は塹柵(ざんさく)であり、濠や垣根の存在を意味する。『出雲国風土記』には、剗の文字が六カ所で使われ、いづれも国境の意味とされている。
 このような文字を当て、濠や垣根をめぐらして、すでに八世紀頃、赤名峠に出雲国と備後国の国境の施設が存在していたのである。
         *
 戦国期の中国地方の歴史は、山陰の尼子氏、周防大内・安芸毛利氏の攻防戦乱を軸に展開した。
 初め、備北・芸北地方の小領主は尼子方に属したが、大内氏の勢力の増大するに伴って尼子方を離れる。赤名峠は、これら武士団の戦いの道として、盛んに利用されたことであろう。
 峠を挟んで、出雲国側に赤名氏、備後国側には三吉氏が、小領主として成長し、領地を接していた。彼らは、いづれも初め尼子方に属したが、三吉氏は毛利につき、大内方に転属する。雲南地方の小領主も、しだいに大内方に味方してゆく中で、赤名氏は、最後まで尼子に従った武士団の一つであった。
 天文11年(1542)、大内氏の出雲遠征に従った毛利・三吉氏らは、まず赤名瀬戸山城に赤名氏と戦う。『雲陽軍実記(うんようぐんじつき)』は、この戦いの、三吉氏と赤名氏の動きを克明に描写している。戦いの最中、三吉修理允(広隆)は、赤名右京亮(光清)に向かい
「貴殿とは室峠(赤名か)を隔て、隣国会盟の知音浅からず、骨肉兄弟同然なり。赤穴へ敵寄せる事あらば、三吉より後詰せん。三吉に事あらば、赤穴より救はんと交はり深く契りしに、思ひもよらず、今日は敵よ味方よと立ち分かれ、日頃の誓約は此の城外の露と消えけるよ。此の上は他人を交へず、深く的面の勝負、遁れぬ処……」
 と一騎打ちに臨んだという。峠を隔てた二武将の宿命の対決を興味深く描いている。
         *
 近世期の赤名峠は、出雲広瀬藩と芸州広島藩が接した藩境であった。広島藩は、寛永10年(1633)、この路を官道に指定し、宿駅、一里塚、幅員などを定め、雲石街道と称した。
 藩境には「従是備後国横谷村」と刻んだ2メートルばかりの石碑を建てた。又境番家(さかいばんや)は、藩境から500メートル程南側に一里塚と道をはさんで設けられ、常時百姓2名が勤務した。
 御境番所の任務は
一、公儀の通行又は荷物輸送については、人馬等を出して手伝い、支障のないように。
一、大名や直参の通行時には、道路の清掃をし、ていねいに下座して迎える。
一、疲労や病気の旅人が来たら助ける。但し、村役人に連絡する。
一、けが人や乱心者が来たら留置し、村役人に連絡する。
一、不審な者が通行すれば、その者の住所、旅行目的などを詳細に聞き、村役人へ連絡する。
等々であった。



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