連載:みよし街並み歴史散歩 その58
株式会社 菁文社
弊社が2007年(平成19年)に発刊した「みよし街並み歴史散歩(三次・十日市・八次・酒屋 編)から一コラムづつ連載します。
三次の再発見があるかもしれません。
なお、三次市は周辺町村との合併以後大きく変わりつつあります。発刊時期とのずれがあることはご了承ください。
この「みよし街並み歴史散歩」は、B6判の単行本です。お求めは小社 TEL(0824)62 3057 または 三次市内の書店へご注文ください。
【長土手・掛原】 跨線橋の辺りが、馬洗川が最も国道(旧道と重なる)に接近している所で、川は深い渕となっていました。千日原地蔵伝説の緑岩(みどりいわ)渕がここです。
国道はやがて長土手(ながどて)にかかります。「長土手」は俗称で、正式な地名は南畑敷町の掛原(かけばら)です。旧街道、県道の時代から馬洗川の堤防を兼ねた道路が直線で2キロメートル余りも続くことから、長土手の名前が生まれたのでしょう。前述の「八次井堰」はすぐ左手に見えます。
中国自動車道が鉄道、国道、馬洗川の上を高架で通っている少し東寄り、昔は川端に小さな松が何本も生え、そのほぼ中央辺りに大きな幹で枝が下がった松がありました。“長土手の下がり松”といわれ景色のよい所でした。奥田元宋の名画「待月(たいげつ)」は、この風景をもとに描かれたものといわれています。この作品は昭和24年(1949)、日展に出品され特選になりました。そのころから彼の画風は「人物」から「風景」に移りました。
なお、平成18年(2006)4月に開館した「奥田元宋・小由女美術館」は、この「待月」をモチーフにして設計されました。即ち館内玄関ロビー東側の広い池は馬洗川を、池越しに望まれる山並みは長土手の対岸の山をイメージしたのです。「日本で一番、月が美しく見える美術館」をキャッチフレーズに毎月満月の前後には開館時間が延長されています。
長土手が東の端で終わる手前に、昔は「掛原だんご(もち)」の名前で美味しい餅がありました。今の「長土手ドライブイン」近くで「かけ原茶屋」を営んでいた山下さんが製造販売していたものです。餅は5〜6センチの小ぶりで、色は白、こし餡(あん)を使ったもので、大正時代の初めころから昭和23〜24年ころまで続けられたそうです。旧制三次中学の生徒は、コンパといえば「掛原だんご」か三次町の「吉浅饅頭」を買いに走ったといいます。
【来源橋】 この橋の少し手前が南畑敷町と高杉町の境です。
ところで「来源」の由来は戦国時代にさかのぼる伝説によります。そのころ比叡尾山城主の三吉氏の家臣に来源坊鬼熊入道(らいげんぼうおにぐまにゅうどう)がいました。彼は家臣中の三大豪傑といわれる力持ちで、その力は50人力と云われていました。ところが天文22年(1553)、毛利氏が三若村(三若町)の旗返山の戦い(江田氏滅亡)に江田氏を攻めた時、毛利氏に加勢する三吉勢の一員として彼は加わり、武運つたなく負傷、芋面川を自力で下り、比叡尾山が遠くに見える辺りでついに息絶えました。芋面川(いもづらがわ)が馬洗川に流れ込む辺りでした。高杉村(高杉町)の人たちは彼の死を悼(いた)み、その場所に墓を造って供養しました。今も橋の少し上流の左側にひっそりと立っています。
【写真 来源坊の墓】
◇ ◇ ◇
基本情報
名称 | 株式会社 菁文社 |
---|
フリガナ | 株式会社 菁文社 |
---|
住所 | 728-0023 三次市東酒屋町306-46 |
---|
アクセス | 国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m |
---|
電話番号 | 0824-62-3057 |
---|
ファックス番号 | 0824-62-5337 |
---|
メールアドレス | geibigrf62-3057@seibunsha-f.com |
---|
営業時間 | 8:30~17:30 |
---|
定休日 | 土・日曜、祝日 |
---|
駐車場 | あり |
---|
関連ページ | ホームページ
|
---|
こだわり | |
---|