連載:みよし街並み歴史散歩 その47
株式会社 菁文社
弊社が2007年(平成19年)に発刊した「みよし街並み歴史散歩(三次・十日市・八次・酒屋 編)から一コラムづつ連載します。
三次の再発見があるかもしれません。
なお、三次市は周辺町村との合併以後大きく変わりつつあります。発刊時期とのずれがあることはご了承ください。
この「みよし街並み歴史散歩」は、B6判の単行本です。お求めは小社 TEL(0824)62 3057 または 三次市内の書店へご注文ください。
〔若宮古墳(県史跡)〕 駐車場のすぐ南側の杉木立の間を5、6メートルばかり入ったところに小高い丘があります。花園古墳群の主墳とみられる若宮古墳です。高さ3メートル。全長37.5メートル。前方部の幅16.2メートル。後円部の直径は20メートル。三次地方では数少ない典型的な前方後円墳です。
三次地方の前方後円墳の多くは、後円部と前方部の長さの比率が2対1なのに、この古墳の比率は1対1で、しかも前方部の形が狭く長くて低平であることから、古墳時代前期(4世紀)に築造された可能性があり、ひょっとすると三次地方で最も古い前方後円墳ではないかといわれています。
古墳の周辺は整備が行き届いています。まだ発掘調査されていないこの古墳の中には何が埋蔵されているのでしょうか。そして埋葬されている人物はどのような権力を持っていたのでしょうか。この時代の先人たちはどんな思いで、この古墳から眼下の風景を眺めたのでしょうか。それはどのような景色だったのでしょうか。それに若宮古墳から北西の方角、三次市街地を挟んで、この古墳より少し早く築造されたと推定される岩脇古墳(県史跡)が見渡せ、南西1.2キロメートルのところに酒屋高塚古墳(県史跡)もあります。
この三つの古墳はどのような関係にあるのでしょうか。
古墳の後円最頂部に立ち、1700年以上も遠い昔に思いを馳(は)せると、さまざまな疑問点が頭の中をよぎります。
【三次人形窯元(県無形文化財)】 古墳から再び参道の車道へ出て、4〜50メートルばかり歩くと広い市道へ出ます。左折するとすぐ三次人形窯元です。平成18年(2006)4月に広島県の無形文化財に指定されました。
三次人形の原料は粘土で、型に原料を詰めて型造りをして800度で焼成し、冬季に彩色します。磨きのかかった気品のある人形で、別名「光(ひかり)人形」ともいわれています。種類は天神、女物、武者物などがあり、最近では翌年の干支(えと)にちなんだ動物も造られているようです。
三次人形の起源は色々と唱えられていますが、時代はさておき、三次町のはずれ比熊山麓の宮ノ峡(みやのかい)が発祥の地であることは間違いありません。宮ノ峡窯で修行した初代丸本義十郎が、明治2年(1869)頃、現在地より300メートルばかり北側に窯を築き、「宮ノ峡人形」の伝統を継承しつつ独自の技術を開発して、「原村デコ」として世に認められました。三次地方を中心に、宮ノ峡人形の時代から、男の子の生まれた家には天神像を、女の子の生まれた家には女人像を贈って祝う風習が広く続いていました。
一時「原村デコ」と「宮ノ峡デコ」が競合した時期もあったようですが、大正5年(1915)宮ノ峡窯は閉められました。終戦前後(1940年代)は大変な時代で、伝統の灯りも消えるかと心配される時期もあったようですが、4代目・5代目(4代目夫人)の奮起と情熱で再起が図られ、現在は丸本垚(たかし)さんが6代目として窯を守っておられます。蓄積されてきた伝統の技術を、土人形一つにかけて護持存続されることに敬意を払わずにはいられません。
三次人形の窯元へ立ち寄って声をかけると、丸本さんが気さくに対応されて、人形造りの作業工程などを聞かせてもらえます。今息子さんが7代目を引き継ぐべく頑張っておられ、技術の継承に心配はなさそうです。末永く存続されることを願わずにはいられません。
窯元に別れを告げて幅広い市道を東へと向かいます。なだらかな丘陵地で、北辺を望むと市街地へと斜面が続き、田圃や民家が連なるのどかな風景です。
4世紀から6世紀のころ、古の人たちも忙しくこの辺りを往来したのでしょうか。それとも墳丘墓や古墳の多い霊域として余り近寄らなかったのでしょうか。
今でこそ舗装された広い市道で、人形窯元方面から成光池、日光寺、更に山を下るとマツダ西門前の国道375号へと抜けられる快適なドライブコースになっていますが、かつては車がやっと通れるほどの道幅で、窯元前から100メートルばかり行った先の突き当たりに、高い煙突のある十日市町の火葬場がありました。周囲は高い雑木林に囲まれて視界は狭く、昼間でも薄暗く寂しい所といった風景だったのです。
昭和53年(1978)に古い火葬場を壊して駐車場とし、新設された市道を挟んで新しく斎場が建設されてからは風景が一変して、太陽の降り注ぐ明るい丘陵地帯となりました。
【花園遺跡(国史跡)】 斎場のすぐ隣り、市道の右端に大きな石碑が立ち「史跡 花園遺跡」とありますからすぐ分かります。ちょっと急な階段ですが40段ほど登ると大きな説明板があり、「遺跡の概要」として発掘調査のあらましが記してあります。
昭和52〜55年(1977〜80)にかけて三次市が斎場を建設するにあたり発掘調査が行われ、1500年以上の眠りから呼び戻された遺跡です。
この遺跡の築造は弥生時代中期(0〜100)から古墳時代前期(300〜400)と推定され、方形台状墓2基と、溝で区切られた方形周溝墓6基を確認したとあります。
このような台形状の墳丘を造り貼石や列石をめぐらせて、墓域をはっきりと区分した埋葬施設の造り方は、当時の埋葬の在り方としては先進的なものだと結んであります。
遺物として管玉・弥生土器・土師器などが出土しました。また穴を掘って順次埋葬して集団墓地を造る当時の一般的な埋葬方式と異なり、一歩進んだ埋葬のあり方を示していると考えられています。この弥生の墳丘墓(台状墓)は古墳時代の魁(さきがけ)を予想させることから、貴重な遺跡として昭和53年(1978)、国史跡に指定されました。
【写真 若宮古墳】
◇ ◇ ◇
・・・つづく
基本情報
| 名称 | 株式会社 菁文社 |
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| フリガナ | 株式会社 菁文社 |
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| 住所 | 728-0023 三次市東酒屋町306-46 |
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| アクセス | 国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m |
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| 電話番号 | 0824-62-3057 |
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| ファックス番号 | 0824-62-5337 |
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| メールアドレス | geibigrf62-3057@seibunsha-f.com |
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| 営業時間 | 8:30~17:30 |
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| 定休日 | 土・日曜、祝日 |
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| 駐車場 | あり |
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