連載:みよし街並み歴史散歩 その26
株式会社 菁文社
弊社が2007年(平成19年)に発刊した「みよし街並み歴史散歩(三次・十日市・八次・酒屋 編)から一コラムづつ連載します。
三次の再発見があるかもしれません。
なお、三次市は周辺町村との合併以後大きく変わりつつあります。発刊時期とのずれがあることはご了承ください。
この「みよし街並み歴史散歩」は、B6判の単行本です。お求めは小社 TEL(0824)62 3057 または 三次市内の書店へご注文ください。
【物語の成立と展開】 この物語の主人公稲生武太夫(平太郎)は実在した人物で、父正朝(まさとも)は浅野長澄(あさのながすみ)(3代目)の時に召し抱えられた浅野家の台所奉行を勤める家臣でした。三次藩は享保5年(1720)世継ぎがいないために断絶し、広島本藩へ合併されましたが、この物語の背景となった寛延2年には旧家臣たちはまだ三次に残っていて、ぶらぶらといたずらに遊惰(ゆうだ)な日々を送っていましたが、そんな武士たちへの警鐘(けいしょう)の気持ちをこめてこの物語が生まれたのかも知れません。
あるいは、この物語は平太郎が15歳のときの経験ということになっています。15歳といえば元服(げんぷく/成人式)の年に当たり、困難に耐える力を身につけて少年平太郎から大人(おとな)の武太夫へと脱皮する年です。物の怪(もののけ)の手を替え品を替えたあらゆる脅(おど)しにも屈せず、成人への証(あか)しをたてた平太郎のいわゆる通過儀礼(つうかぎれい)として生まれたものかも知れません。早く両親に死に別れた平太郎にとっては元服は一入(ひとしお)感慨深いものがあったものと思われます。
天明3年(1783)稲生武太夫の友人柏正甫(かしわせいほ)は、武太夫から直接聞いた話をまとめて『稲生物怪録』を著し、その後に武太夫自身も『三次実録物語』を著しましたが、これらの書物はとくに江戸で評判になり、有名な国学者平田篤胤(ひらたあつたね)が序文をつけた物語もあり、またいろいろな絵巻物にも仕立てられ世間にひろがっていきました。
〔稲生妖怪を歩く〕
・市立歴史民俗資料館
稲生武太夫自らが著したといわれる「三次実録物語」(写本)をはじめ、稲生物語のいろいろな写本や絵巻物の寄託品やレプリカがある。また稲生物語ルームも特設されている。
・三次商工会議所
山ん本五郎左衛門が残していったと伝える木槌のレプリカが厨子(ずし)に入れてある。本物そっくり。事前に連絡すれば見学できる。
・三次法務局
稲生武太夫屋敷があったと伝えるところ。昭和3年(1928)建立の「稲生武太夫碑」がある(選文には若干史実と異なる部分がある)。
・西城川河畔
太歳通りの裏辺り、平太郎らが夕涼みを楽しんだところ(「稲亭物怪録」)。
・西江寺(せいごうじ)
臨済宗の古刹。稲生家へ出没する妖怪退治のため、薬師如来御影や香炉の貸し出しさらに野狐除けの護符を配布するなどの協力を惜しまなかった。それでも「愚僧の法力には叶わぬ相手」と住職をして言わしめた(「稲亭物怪録」)。
・妙栄寺(みょうえいじ)
日蓮宗の古刹。稲生家の菩提寺。木槌は当初この寺へ納められ、後に広島の国前寺(東区)に移された。稲生家の養子・稲生新八の墓(抜魂)はここにある。
・太歳(ださい)神社
物語のフィナーレで、妖怪の正体である山ん本五郎左衛門と共に稲生家を訪れた神官はこのお宮の神主。また平太郎らが祝勝のお礼に参拝したお宮。
・比熊(ひぐま)山
妖怪出現のきっかけをつくった山。平太郎らは百物語の後、この山に登り天狗杉に印しをつけて帰宅した。神籠石(こうごいし/古代の山城遺跡)の伝説もある
・・・つづく
基本情報
名称 | 株式会社 菁文社 |
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フリガナ | 株式会社 菁文社 |
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住所 | 728-0023 三次市東酒屋町306-46 |
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アクセス | 国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m |
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電話番号 | 0824-62-3057 |
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ファックス番号 | 0824-62-5337 |
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メールアドレス | geibigrf62-3057@seibunsha-f.com |
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営業時間 | 8:30~17:30 |
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定休日 | 土・日曜、祝日 |
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駐車場 | あり |
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