(太歳町〜栄町界隈)
① 西江寺(せいごうじ)小路(長さ83m)、臨済宗の古刹西江寺への参道を兼ねたもの。小路の中程には「太歳町四つ目」と呼ばれる場所があり、近くに農民の麦蔵があって、この辺りに妖怪物語の主人公稲生武太夫(いのうぶだゆう)の屋敷があったといわれている所です。
② 川小路(長さ30m)通りから西城川へ出る道で、太歳町には三ヵ所もありました。川での洗濯や洗い物など日常生活に利用され、火事の時には用水運搬路にもなりました。小路の脇には梯子(はしご)、鳶口(とびぐち)、縄等が常備されていたそうです。小路の一つは鉄蔵小路ともいいます。
③ 篭(ろう)小路(67m)、江戸時代、上市の川筋の町裏には牢屋(留置場)があり、そこへ通じる小路の意味。しかし、この辺には駕篭を使う駕篭宿が多くあったので、この名前が付いたという説もあります。
④ 正庵(せいあん)小路(長さ49m)、茶人正庵という人が住んでいた。しかし正庵についてのくわしいことは判っていません。元の家庭裁判所へ通じる小路。現在の三次市文化会館の裏に出ます。
(本通り界隈)
① 万光(まんこう)小路(長さ67m)、万光院観音寺への参道でした。松本玩具店の南側から西本町の細川歯科の前へ抜ける小路です。浅野長治の祈願所として勧請されました。太歳神社の稲荷社は万光院廃止後に、ここから移されたものです。
② 畠中(はたなか)小路(長さ63m)、西城川へ通ずる小路。町中でありながら畑地が残っていたから。またこの小路近くに薪炭や雑貨を扱う〝きぬ屋〟があったので「きぬ屋小路」ともいいます。
③ 吉舎屋(きさや)小路(長さ42m)、杉屋小路ともいわれました。才ヶ瀬小路もこれに当てる古地図もありますが、寺戸への才ヶ瀬渡しは、この小路よりも少し上流にあった。吉舎屋は堺屋(問屋場)の補助的役割をはたしていました。
④ 前田(まえだ)小路(長さ83m)、三上タバコ店から西中町の盛華園の横へ出る小路。明治時代につくられたもので、町内屈指の資産家前田万助(増田酒店の北隣にあった)の土地や借家があり、これに因んだ名前で、前田家の私道が小路になったものです。一部で小路の上の民家が繋がってトンネル状になった所があり、珍しい小路です。
(名前だけが残っている小路)
① 鷹匠(たかしょう)小路(長さ103m)、三次浅野藩のころ、藩お抱えの鷹匠が住んでいたところ。太歳通りから妙栄寺や吉祥院方面に通じていた。明治になって県道が敷設された時、布野、赤名方面への県道となりました。
② 御蔵(おくら)小路(長さ55m)、幅が2.7mと異常に広い。御館と本通りを結び、藩主や藩の重役がさかんに通行していた重要な道。道に沿って藩の蔵が建ち並んでいたから。この辺りに明治初年、最初の小学校「誠明館」がありました。現在の三次ふれあい会館(旧公民館)からフードセンターの間の道路に当たります。