【魚の棚(うおのたな)小路―付・三次の小路(しょうじ)】 新聞社ビル北側に本通りから大工町へ抜ける小路があります。これが「魚の棚小路」です。長さが八二メートル。この小路は、三次浅野藩時代に魚問屋が三軒あり、株仲間を組織して藩の保護を受けていました。他に数軒の小売店もあり、そこから付けられた名前です。享保五年(一七二〇)の廃藩後も三次町の水産物売買の中心的な場所でした。明治以降は魚屋に加え、仕出し屋、食堂、銭湯、床屋、豆腐屋、洗濯屋それに銀行の支店などが集まり、盛り場的な通りとなっていました。戦後も昭和四〇年代くらいまでは、その雰囲気を多分に残していました。今は金井家の屋敷跡が駐車場となり、昔の面影や雰囲気はほとんどなくなっています。
この小路と本通りをへだてた少し北側、藤井農機の前には「伊予屋小路」があります。伊予屋という海産物の問屋があったからです。
三次には浅野藩時代から、たくさんの小路がつくられています。小路は生活や生産活動のための通路であると同時に、火災の時の類焼を防ぐ防火施設のはたらきもしていました。さらに、ここには必ず側溝が設けられていて、周辺の民家の生活排水の排水処理溝になっていました。長さは長いものでは一〇〇メートルを越え、短いものでも三〇メートル、幅は一メートルに満たない狭いものから、広いものは三メートル近く「小路」の名に値いしないほどのものもありました。小路の名前は、それが何処に通じているか(○○寺=○○寺小路)、小路の付近に老舗のお店がある(△△屋=△△屋小路)のように名づけられました。
今日、小路の様子は、
① 今も残っていて、昔の面影や雰囲気が少しは感じられる小路=西江寺小路、前田小路など、
② 今も残っているが、両側又は片側の建物が取り払われていて、更地や駐車場となり、
面影も雰囲気も感じられない小路=才ヶ瀬小路、万光小路、魚の棚小路など、
③ 近代的な道路が敷設されて、なくなってしまったもの=鷹匠町小路、蔵小路など
三次町に来られたら〝小路歩き〟をされてみてはいかがでしょう。現代の感覚で見ると、また新しい発見があるかもしれません。太歳町から本通りに至る小路を簡単に紹介しておきましょう。
・・・つづく