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新連載:ふるさとの峠と街道 その11-③

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新連載:ふるさとの峠と街道 その11-③
「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの峠 として2部構成でお届けします。
 第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
   このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。



【王貫峠(おうぬきとうげ/比婆郡高野町)③】

― 後鳥羽上皇伝説の点と線―

「まれ人の来訪伝説」の中で、王候貴族が地方流浪の果てに悲劇的な生涯をとじる「貴種流離譚(伝説)」は全国に多い。時代的にも、古くは記紀の時代の「大和武尊(やまとたけるのみこと)」や「少彦名尊(すくなひこなのみこと)」、奈良・平安期には「在原業平」や「菅原道真」、鎌倉以降はさらに多く、「源義経」や「源為朝」、平家の「落人伝説」その他多くの王侯・落武者伝説がそれである。その中でも天皇伝説は特異な意義を持ち、本県でも後鳥羽以外に崇徳、安徳、順徳、後醍醐などその例は多い。
伝説は「絶えず権威づけを欲する。その意味において中央の歴史との関連性を求め、歴史的に証明されて合理化されようとする」(『民俗の辞典』=民俗民芸双書)それゆえにその伝説(言い伝え、いわれ)の中心人物が権威・権力者であればあるほど効果的であり、その点では天皇は最も有効である。後鳥羽上皇伝説はその意味において「貴種流離譚」の最も典型的伝説の一つといえる。
 さらに、この後鳥羽上皇伝説が、それぞれの土地に強く土着し、民俗生活に強い影響を与えているのは、伝説の多くがその土地の社寺(神体・本尊)の縁起由来と結びついて土俗的信仰の対象となったことが、この伝説の根強さであり、巾広く後世に伝えられている要因ではなかろうか。
 それにしても、後鳥羽上皇伝説は、なぜ高野町に集中的に残っているのであろうか。
         *
 私は高野町からの帰り道、金尾峠のコースをとった。峠の頂上附近で自動車を止め、はるか北方にそびえる大万木(おおまんぎ)山と猿政(さるまさ)山の峡間を眺めながら、今見て来た王貫峠のことを思っていた。その時、フト、その二つ山の手前に開けた大きな盆地、中国山地の真っ只中にポッカリと口をあけたような凹地、この中に高野町がすべて抱えこまれているんだと気がついた。
 そういえば、高野町へはどのルートから行っても、かなり大きな峠越えをしなければならない。中国山地の脊梁に近く、しかも他の地域とは、かなり隔たった位置にある。この自然的条件は、高野町の風土を形成する上で大きなウエイトを占めていたに違いない。
 かつて、高野町は11カ村に分かれ、高野山諸村の時代があった。交通・通信機関の未発達なその時代には、先の「自然的条件」はもろにこの地域の社会形成の上に影響を与え、他地域と隔絶された社会、孤立的要素の強い社会、いいかえれば、その中で人間の全ての営みが完結する、いわば“高野山諸村連合王国”的存在の時期があったのではないだろうか。
 伝説や民話は、そのような時期には、他地域の影響を受けることもなく、純粋培養されて育つものである。上皇伝説も、その時期に高野山の人々によって“王国”の各地へ枝葉を広げ、発展したのではあるまいか。
 いや、高野山に限らず、どの地域でも、そのような時代を経験しているのだ。しかし、歴史の法則は、そのような社会の存在を長くは許さなかった。人はそのことを文明の発展という。しかし、この「発展」の中で、まぎれもなく伝説や民話は、比較・取捨・撰択・融合され整理統合されて行ったのだ。他の地域にあった上皇伝説が、整理統合されたのに、高野山の場合、その特殊な「自然的」「社会的」条件のために残されたのだ。
 私は思う。“高野山諸村連合王国”の名残り、その一つが、今日の一連の系統的にまとめられた後鳥羽上皇伝説ではないだろうかと。
         *
 帰りに買った高野名産の「蕗羊羹(ふきようかん)」には「備後高野山名産『トウ蕗』は後鳥羽蕗の訛にして、承久3年後鳥羽上皇が隠岐の島へ御遷幸のみぎり、多賀の荘(=高野山)千秋山万歳院(=功徳寺)に龍車を駐め給ひし時、起世山開山教誉上人の遠祖、誓因が御旅情を御慰め奉らんものと、蕗羊羹を謹製して上皇に奨め……」たに始まると「蕗羊羹の由来」に店主が敬白している。
 上皇伝説は根強く残って、今も生きている。(昭和58年9月 米丸嘉一)

 

写真:【峠に近い大山寛さんの家。江戸時代には番所が置かれていた。】




◆次回は二本松峠を紹介します。



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