新連載:ふるさとの峠と街道 その11-②
株式会社 菁文社
「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの峠 として2部構成でお届けします。
第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。
【王貫峠(おうぬきとうげ/比婆郡高野町)②】
― 後鳥羽上皇伝説の点と線―
承久3年(1221)、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇は、鎌倉幕府の手によって、隠岐島に配流される。
7月8日 出家
同13日 京都鳥羽殿出発
同27日 出雲から出航
8月5日 隠岐国海部郡苅田郷着
この間のルートは、瀬戸内海を岡山県の児島付近で上陸、津山 ― 蒜山 ― 出雲 ― 隠岐となっている。しかし、別に配流のルートに関する「備後伝説」なるものが昔からある。それによれば、
「三原市の長井浦辺に上陸、世羅台地を北上して吉舎、総領、庄原、比和を経由して高野山に入る。ここでは承久三年九月から翌年七月までの十カ月間を過ごし、やがて峠越えの後、出雲へ向かわれた」
というのである。
ところが、王貫峠のある高野町には、その伝説が集中する。
まず、同町上湯川の「御所地山(ごしょじやま)」、これは一時滞在された所であり、王居(おい)峠はその麓の村峠の名称となっている。次いで同町新市の古刹、曹洞宗功徳寺、これらの伝説の中心になっている所である。ここは上皇が半年間滞在されたとの伝えがあり、『芸藩通志』に「ここも皇居にてありしといふ。堂の作り他にたがひて殊勝なり」とし、上皇ゆかりの勅額「万歳院」一面、硯一面、装束の布地、道中用銀蒔絵箸等々が伝えられ、他に当寺の東方二キロにある蔀山の紅葉を賞した上皇の詠歌
しとみ山おちる嵐のはげしくて
もみじの錦きぬ人もなし
も残されている。
さらに、その蔀山には「九葉楓の伝説」もあり、そこには上皇の勧請による諏訪神社がある。次に同町岡大内の大内神社、別名を天皇社ともいい、附近には「黒木御所」の跡がある。ここは出発直前2カ月の仮御所で、境内の観音像は上皇の作と伝えられていたが、昭和の初め焼失した。同中門田の中山神社も上皇が岡大内滞在中に創建したといわれる。そして最後は王貫峠へとつながっている。
高野町の場合は、上皇伝説が単に数多いというだけでなく、それらが一連のつながりをもつ“線”となって系統化されていて興味深い。
写真:【峠という感じがしない…なだらかな高野町側。両側は名産「高野大根」の畑がつづく。】
◆次回は王貫峠その③を紹介します。
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