新連載:ふるさとの峠と街道 その12-①
株式会社 菁文社
「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの峠 として2部構成でお届けします。
第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。
【二本松峠(にほんまつとうげ/比婆郡東城町)その①】
― 若山牧水ゆかりの地 ―
東城町の市街部から国道182号線を東にのぼりつめ、岡山県に入る県境の峠が二本松峠である。この国道は備中新見路とよばれた旧街道を、大正年間に拡幅してつくられた道であるが、峠付近だけは旧道を避け、別コースに新道が設けられたので、幸いにもむかしの峠のすがたをほぼそのまま残している。この峠一帯の土地を、備後側でも備中側でも古くから二本松とよんでいる。これはむかし国境に2本の松があったからで、うち1本は枯死し、今では1本だけが天高くそびえ立っている。
中国地方全体からみても、この峠を通る道は山陽道、山陰道に次ぐ第三の東西を貫く幹線道路で、しかもこの峠が国境・藩境であったため、各時代を通じ政治・軍事上の要衝として重要視された。戦国時代、美作から備後に侵入しようとした尼子方の軍勢を、備後奴可郡の領主であった宮高盛(みやたかもり)はこの二本松に布陣して撃退しているし、江戸時代、幕府はこの峠に接する備中側の大竹村を天領としている。また福島藩のときには、家老長尾一勝が東城に世直(よなおり)城を構えて国境警備にあたったし、浅野藩になってからも、はじめ家老亀田高綱、のち家老浅野高英およびその子孫が東城に屋敷を構え、家臣を常駐させて明治に至っている。
東城町川東の得能氏所蔵の『福代村絵図』によれば、国境には御境杭木(おさかいこうぼく)という木製の門があり、その南側に柱状の一対の国境碑が建てられ、備後側の北側に広島藩の番所があった。国境碑のひとつには、表「従是西備後国」裏「奴可郡福代村」(A)他のひとつには、表「従是東備中国」、裏「哲多郡大竹村」(B)と刻まれている。
このほか道の北側に頼杏坪の建立と伝える、表「従是西備後国」、左横「従是西芸州領」、右横「すゑひろの松」(C)の石柱碑があった。しかしいま現地にあるのは(B)だけで、(A)と(C)の2本の碑は、明治以降払下げによって東城町内の徳了寺の境内に移されたままになっている。(もっとも先年、東城町教育委員会は、(A)の碑の模造品をつくり現地に復元した)
◆次回は二本松峠その②を紹介します。
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基本情報
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