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ふるさとの峠と街道 峠編-終章

株式会社 菁文社

赤名峠を行く「銀山街道を歩く会」のメンバー「ふるさとの峠と街道 峠編-終章」

赤名峠を行く「銀山街道を歩く会」のメンバー

車も喘ぐ便坂峠「ふるさとの峠と街道 峠編-終章」

車も喘ぐ便坂峠

「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの峠 として2部構成でお届けします。
 第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
   このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。



【峠編-終章】

― 今なぜ峠なのか ―


 「げいびグラフ」21号、昭和54年(1979)5月に「峠を語る」-赤名峠-が掲載されて以来、41号-王居峠-まで、21回にわたってシリーズで備北を中心とした峠が紹介された。
 その峠の今昔や民俗行事、それにまつわる多くの人々の思い出話、それに伝説や民話など、まことに興味深いものがあった。しかし、未だ紹介されていない峠もたくさんある。老年期地形の中国山地に属する備北地方は比較的尾根が低く、山越えが容易である。踏み分け道であった古い時代から既に大小無数の峠がつくられたのだ。峠の語源の一つがタワゴエで、タワとは尾根の鞍部、というのもこの地方では説得力をもっている。
 今、シリーズの終章に当たり、紹介されたものの中から、私の印象に残ったいくつかの峠をリストアップさせていただくと同時に、あらためて峠とは何か、峠の現状、そして峠の今日的意義 ―今なぜ峠なのか― について、日頃から私の考えているところを披瀝させていただいて、シリーズの結びの言葉に替えさせていただくことにしたい。
         *
 私の伯父は、よくキツネにだまされた話を子供の頃に聞かせてくれていた。子供心に好奇心をもって聞いたが、恐ろしいという記憶しか残っていない。しかし、今あらためて思い返してみると、不思議にそれらの話は、酒を飲んでの帰りの夜、峠の出来事として語られ、美しい姫さんに出会うパターンになっていることに興味がある。
 一体、なぜキツネが峠に出て、美人になるのであろうか。峠はおおむね町村境にあり、いわば村の入り口に当たる。おそらく伯父は、かなり酩酊してその峠に帰りかかったのではなかろうか。峠まで帰った安堵感で疲労が一気に出て、酔いもまわってそこらに眠ってしまったのであろう。夢うつつの中で、今日出会った人を思い、結婚式の帰りは、その若夫婦のことを思い、飲み屋の酌婦のことを思い出したのだろう。峠にキツネが出るのではなく、いや、キツネが人をだますはずもないのだ。峠でのそのような失態を、伯父はキツネにだまされたといって語っていたのではあるまいか。
 峠の機能の一つはこの「境界性」であり、他は「遮断性」である。身近なところでは村の周囲にあって他村との境をなし、アルプスやヒマラヤもそれらが国境となっており、同時に他の地域との自由な通行を妨げ、遮断し、他の地域と切り離す役割をしているのだ。
 峠は、いわば地域共同体のフロンティアであり、限界であって、かつては国藩境をつくり、今でも町村境、郡境、県境にもなっている。防地(ぼうじ)峠(君田村)、札ヶ(ふだが)峠(口和町)などはその名称がすでに峠の機能を物語っている。かつては、それに関わる民俗行事もあったに違いない。
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 先年「矢切りの渡し」という歌謡曲がヒットした。渡しも峠と同じように境界性、遮断性を備えていた。
 このような場所は、人が出会い、そして別れるところである。詩情が漂い、ロマンに満ちている。詩や小説の場として設定されるのも不思議ではない。
 しかし「矢切りの渡し」の歌詞を見れば、所詮、渡しが今日的関心の場でないことは明白である。渡しは交通機関の発達や架橋土木技術の発達に伴って、既にかなり以前にその本来の機能を失ってしまったものが多い。
 峠の今日的状況は多様である。交通機関の発達と交通量の増大、就中(なかんずく)最近のモータリゼーション、それに土木技術の発達によって様相は変わりつつある。
 今、その現状を様相側面から3つのパターンに分類して、仮に名称をつけて説明すると、
①古来型峠=道路の補修や部分的改修は施されてはいるものの、現在も交通路として利用されている。かつての峠の面影が随所に残っている。……権現峠、金尾峠
②改修型峠=現在も交通路として盛んに利用されてはいるものの、大幅な補修や、改修と舗装が施されて近代化し、旧道は部分的、点在的にその付近に残っているが、かつての面影は見るべくもない。……瀬谷峠、便坂
③滅亡型峠=トンネルの開通や新道の建設が、峠のある旧道から大きく離れたために、峠全体が交通路としての機能を失い、人々に忘れ去られつつある。……赤名峠、盤之谷峠、王居峠、上根峠
 ①の型は小規模な町村境峠に多く、対照的に③の型は大規模な国・県道峠に多く見られる。しかし数的には②の型が多い。歴史的な経過を見ると①→②→③型と、オーソドックスな変遷をするのが普通であるが、最近は①→③型と、一気に峠がなくなる場合もある。いずれにしても峠は忘れられ、亡びつつあるのが今日の状況である。
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 車社会に背を向けたような、非能率的な峠歩きの、その目的について、よく尋ねられることがある。職業柄、歴史や民俗に関心を持っているためであることはともかくとして、私は次の2点を答えることにしている。
 一つは、峠の与えてくれる感動である。峠は多くの場合、急峻な登りである。時に樹木が茂り、草木に覆われていることすら多い。昔の人の苦労体験を追いながら ― 峠には苦労話が多い ― 苦しさに耐えて汗をふきつつ、ついに頂上に至る。その時の晴ればれとしたすがすがしさ、苦しさの後の喜びがあり、無比の感動である。これは人間の一生の生き方にも通じる。
 もう一つは、峠の頂上での思索である。身体を休めながら、今登って来た坂道の苦しさを思い返し、さらに、これから下って行くルート上の様々なことを想像し、予測し、展望する。これは来(こ)し方(かた)を振り返って反省し、行く末を読んで展望をもつという、人間の日常生活上の必須の思考作用にも通じるのである。
 いずれにしても、私の峠歩きは、私自身の日常生活の真剣な生きざまに深く根ざしていると自負している。なぜなら、峠は人間の一生の、いわば縮図のような気がしてならないからだ。
(昭和61年3月 米丸嘉一)









◆次回は街道編です。



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基本情報

名称株式会社 菁文社
フリガナ株式会社 菁文社
住所728-0023 三次市東酒屋町306-46
アクセス国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m
電話番号0824-62-3057
ファックス番号0824-62-5337
メールアドレスgeibigrf62-3057@seibunsha-f.com
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