ふるさとの峠と街道 その21-①
株式会社 菁文社
「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの峠 として2部構成でお届けします。
第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。
【王居峠(おいだお/比婆郡比和町)その①】
― こめられた歴史と想い出 ―
昭和56年(1981)4月30日、この日が何の日か知る人は極めて少ないであろう。この日こそ瀬戸内海沿岸竹原市から中国山脈を横断して宍道湖畔松江市を結ぶ道路が、国道として認定された記念すべき日なのである。この日までこの道路は、備後国と出雲国を結ぶ古来の道を基本線として明治以来開発された往還道であり、島根・広島両県を結ぶ県道であったが、翌昭和57年4月1日付により国道432号線に昇格することとなった。
思えば長年に亘った関係市町村民の熱い願望が実った日であった。沿道の住民はこの日を心から祝い、夢と希望を大きく膨らませた。かくて両県の交通路は一本の国道として結ばれ、人と物の流通は円滑になり、関係地域の開発と将来の発展に期待が寄せられている。
国道432号線の庄原市から県境の高野町に至る間を、以前は県道庄原 ― 新市線と称していた。中国山地を縫うように横断するこの路線は坂とカーブの連続で、庄原市から比和町へ越すのは盤之谷峠(はんのやだお)、比和町から高野町へ越すのが王居峠である。そして高野町から島根県仁多町へは県境の王貫峠(おうぬきだお)を越さなくてはならない。王貫峠については省略して、本稿は高野町東の出入り口である王居峠について地元伝承等を記してみたい。
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王居峠=この文字から推測できる通り、この峠は王様に関係がある名で、王貫峠同様、承久の昔、後鳥羽上皇が隠岐島へ御遷幸の途次、御行在所とされた場所であると伝えられている。
後鳥羽上皇御遷幸に関しては吾妻鏡の記述の通りとされているが、異なった伝記伝説もあるので、次にその一つを紹介してみよう。
『芸藩通志』巻一三七 備後国恵蘇郡五 古蹟名勝の項、黒木御所跡の記に「一は、本郷村(庄原市)黒木谷にあり、伝へ云、承久三年、後鳥羽帝、隠岐国に、遷幸の日、此地を経結ひ、僻へきに皇居をいとなみ、暫く蹕ひつを駐とどめ玉ひぬ、黒木御所、これなり、一は岡大内村(高野町岡大内)の大内谷にあり、本郷村より、行在を移し玉ひぬと云、按ずるに、帝、経過の旧蹟を伝ふること、郡内所々にありて、他郡にも亦これあり……」とあり、次に「功徳寺(くどくじ)」について記され、次には「蔀山(しとみやま)」、さらにその次の項に、
「御所地山、王居峠 上湯川村(高野町上湯川郷原)にあり、御所地山の上には、荒墟二所あり、これも、山名によれば、行在のありし地なるか、王居峠は、其下なる路を云、是みな、後鳥羽帝の旧蹤(きゅうしょう)なりと云ひ伝ふ」 と書かれている。
◆次回は王居峠②を紹介します。
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基本情報
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