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ふるさとの峠と街道 その20-②

株式会社 菁文社

西城分かれの地点に「中山峠」のバス停がある。「ふるさとの峠と街道 その20-②」

西城分かれの地点に「中山峠」のバス停がある。

「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの峠 として2部構成でお届けします。
 第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
   このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。



【中山峠(なかやまとうげ/庄原市)その②】

― 変遷を綴る峠道 ―


雨連に住む田辺臥美氏(91)は目を細め、次のような回顧談を話された。
「昔は中山峠にしばしば山賊が現れ、旅人を苦しめたと聞いている。これは新しい話だということだが、あるとき江州(滋賀県)の行商人が峠で山賊に襲われたことがあった。賊は砥ぎすました鎌を持っていて、行商人を威(おど)しながら雨連橋のほとりの炭小屋に連れ込もうとしたが、天秤棒一本で全国を渡り歩く行商人もさるもの、荷をおろし、やおら天秤棒を抜きとるや打々発止(ちょうちょうはっし)と渡り合い、何とか防戦して逃れたということだ。
 若い頃、雨連から食料や日用雑貨を買いに行くところとして、呉ガ峠(現神石町)、西城、庄原、田総(現総領町)、東城などがあった。年末には西城のとしとり市に行きブリを買っていた。呉ガ峠では乾魚・塩魚をはじめ日用雑貨類をよく買った。呉ガ峠や田総からは行商人もよく来ていた。西城の店は人気がよかったが、東城の商人は人を見て物を売る、値が高いといって滅多に東城には出なかった。庄原には中山峠を降りて桑の葉を買いに行っていた。馬を追うて本村から小用(およう)、大久保、永末、宮内、新庄を通って上野池のほとりから庄原の町に出ていた。この道が昔からの旧街道であった。明治から昭和十年頃まで養蚕が大流行し、雨連でもほとんど全戸が蚕を飼い、畑という畑はみんな桑畑だったが、それでも足りないので、庄原に出て余った桑葉を買っていた。菰(こも)で桑の葉を巻いて大きな荷を2つ作り、馬の背に振り分けてくくりつけた。馬はかなりの家で飼っていたが、乗るためではなく、子馬の生産飼育と駄馬運送の目的で飼った。
 中山峠はまた別離の峠でもあった。帝釈からは浜田の連隊にほとんどの者が入営していた。のちには松江や福山、広島の連隊にも行くようになった。入営の時には家族や村人たちが峠の上まで見送り、前途の無事を祈り、涙の別れをしたものである」
         *
 以上の田辺氏の回顧談にあるように、村境の峠というものは旅の安全を神に祈る場所でもあった。「とうげ」は旅人が神に手向けする「たむけ」が語源だといわれる。本村の大江店の裏の旧道のほとり、中山峠からいえば峠の入り口に「猿田彦」と彫られた高さ135センチ、幅65センチの石碑が立っている。猿田彦神は一般的に庚申待の申(さる)としても祭られていたが、ここでは導きの神としての神格から塞(さえ)の神(道祖神)として祭られたものと思われる。塞の神は峠の上、峠の入り口、村境などに祭られ、村へ邪霊・悪魔が侵入するのを防止する神、通す通さぬを支配する神として信仰され、ついには耳をよく通す神として耳病の神ともなっていく。
 中山峠に、峠の茶屋があったという話を聞いたことがないと、竹渡(たけわたり)の奥田武雄氏(67)は話される。竹渡の佐々木店も、本村の大江店もわりあい新しい店だとのことである。しかし『国郡志』をよく見ると、地名として「雨連、茶屋ヶ峠」という名称がのせられている。場所は本村境(中山峠)から2丁とあるので、現在中山峠バス停留所のある、西城への県道の分岐点の付近と考えられる。国郡志は茶屋の有無にまでは触れていないが、人通りが少ないのに茶屋があるはずもないので、あるいは昔、峠を越える備中故路が正路であった時代には通行人も多く、一時的にせよ茶屋があったのではないかと考えられる。
 帝釈のほとんどの地域が石灰岩地帯であるのに、この峠の付近一帯から本村にかけては花崗岩質の真砂土地帯である。山中いたるところにタタラの鉱滓や鍛冶屋の鉄滓が散在し、昔、真砂土からとれる砂鉄を原料としたタタラ製鉄が盛んであったことをしのばせてくれる。またタタラ・鍛冶屋にちなんだ地名も多く残っている。
 帝釈には古墳が多く、竹渡や雨連、それに未渡郷にかけて約50基の古墳が確認されている。特に峠近くの雨連の横手下というところの採土場では、山腹の横にノミで穴を穿って羨(せん)道・玄室という部屋をつくり、玄室に木棺を納めた、横穴という出雲形式の古墳が四基発見されている。このように、こんな山奥にも千数百年の昔、大ぜいの人々が住んでいたことは確かなことであるが、これらの人々の仕事は、おそらく鉄の生産であったろうと考えられている。
(昭和60年11月 難波宗朋)









◆次回は王居峠を紹介します。



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基本情報

名称株式会社 菁文社
フリガナ株式会社 菁文社
住所728-0023 三次市東酒屋町306-46
アクセス国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m
電話番号0824-62-3057
ファックス番号0824-62-5337
メールアドレスgeibigrf62-3057@seibunsha-f.com
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