新連載:ふるさとの峠と街道 その15-①
株式会社 菁文社
「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの峠 として2部構成でお届けします。
第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。
【大仙峠(だいせんとうげ/高田郡向原町)その①】
― 小さな峠の大きな遺産 ―
「……いつの頃だったろうか。五平太(ごへいた)という泥棒がおり、この峠道を通る旅人をおどして追いはぎをしていた。
ある日のこと、いつものように峠の中程で待っていると、大金を持った男が通りがかった。月並みのおどし文句で胴巻ごとまきあげた。
峠を登りつめた処の溜池の手前に塞ノ神が立っておられる。五平太はそれをチラッと見た瞬間、薄気味悪うなったのか『神さんどうか人に言わんとってつかあさい』塞ノ神は『わしは言わんが、われこそ言うなよ』と返事をされた。ほくほく帰った五平太の挙動がおかしい。女房に問いつめられて、せしめた金の半分を巻きあげられた。これを見た婆さんが、又その半分を出させた。とどのつまりは、それがもとで悪事がバレてしもうたげな……」(「広報むかいはら」176号より)
五平太の言動はどこか間が抜けていて、なんともユーモラスな追いはぎである。いかにも小さな村峠に残って、村人に親しまれながら受継がれた民話にふさわしい。その上、塞ノ神と結びついている点でも興味のある話である。
*
高田郡向原町の有留(ありとめ)地区から南へ山越えして、白木町小越(おごえ)地区(広島市安佐北区)へ出る峠道がある。
牛の神を祀る大仙神社が付近にあったことから付けられた峠地名である。有留側からは標高330メートルの峠の頂上まで5分もかからないが、南側はつづら折れの道をくねくねと廻って小越まで4、50分はよくかかる。かつて小越側の石堂(いしどう)や牛岩(うしいわ)地区が有留分であった頃には、この峠は村の中の峠であったが、昭和29年(1954)に有保村(有留・保垣村=明治22年)が向原町と合併した時、前2地区は小越分となった。それ以来、この峠は町界の峠になっている。
江戸時代に有留村の年貢は、この峠を越して三篠川へ降ろし、深川村の藩蔵へ納めていた。その旧道は殆ど残っていないが、古老の話では急な坂やカーブの連続であったという。
明治になっても、この峠を越えるルートは瀬野・八本松方面への近道として、有留地区以外のかなり広範囲の人も利用したらしい。明治の終わり頃、広島連隊へ入営した上長田(かみながた/向原町)の人もこの峠を越えているし、海田の潮湯へ湯治に出かけた上小原(かみおばら/甲田町)の人も峠の麓で休んで、この峠を越したという。
峠は、まぎれもなく生活の場として機能していた時代があったのだ。
◆次回は大仙峠その②を紹介します。
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