新連載:ふるさとの峠と街道 その13-②
株式会社 菁文社
「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの峠 として2部構成でお届けします。
第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。
【防地峠(ぼうじだお/双三郡君田村)その②】
― 典型的ローカル峠の命運 ―
さて、防地峠の現状はどうであろうか。
この峠は、江戸時代の旧道(雲伯路)が明治30年代に改修されて県道になった。戦後、昭和40年代に幅員も拡張され、舗装されて近代的な道路に生まれ変わったが、そのルートはほぼ明治の改修時のままであった。
その明治の改修時、南側の西河内(三次市)側は、おおむね旧道のルートを踏襲して改修した。そのため、旧道の面影は全くなくなってしまった。一方、北側の藤兼地区(君田村)側は、峠の頂上付近で旧道から離れ、西寄りに振って藤兼地区を一望しながら下りる新しいルートを作って県道とした。そのため、北半分の旧道は取り残される運命となったが、通行者は絶え、廃道となってしまった。
即ち、改修されて南半分は消滅し、北半分は廃道となって忘れ去られてしまったのだ。前述②の改修型峠に属し、ローカル峠の運命を典型的にたどった峠ということができよう。
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私は、歳の暮れから正月にかけて2度ばかり防地峠を歩き、ついでに藤兼地区から雲伯路の旧道といわれている南雨峠(みのうとうげ)へ入り、東入君地区へ抜ける道を歩いてみた。
歳の瀬のあわただしさの中で、正月を迎える仕事に忙しい地元の2、3人に当たって、防地峠の昔の話や、その変わりようについて尋ねてみた。
「茶店の前には、いつも10数台の馬車や荷車が休んでいた」こと、「節分が過ぎる頃、村内総出で峠道の除雪をした」ことなど、どの人もみんな“ぼうじがだを”(語尾を少し上げる)と発音されて、異口同音に昔の峠を懐かしみながら、我が子、我が孫を語るように親しみを込めてその大きな変化を話してくださった。
私はこの峠地名の変化……牓示(榜示)→防地について、最近はこの地域の人々の気ままな安易さが「牓」とは縁もゆかりもない「防」にしてしまったのだと想像していた。しかし、今この地域の人々と話してみて、私の“想像”は逆転した。それは、ある時期(時代)に積極的にこの地名を未来永劫に残そうと考えた時点で、意味の解しにくい「牓(榜)」を捨て、平易な「防」にするという、したたかな地元民の知恵の結集の成果ではなかったのだろうか……と。
私の全くの気ままな想像ではあるが……。
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峠の頂上付近には、昭和54年(1979)に「自閉症児施設ともえ学園」が設立され、向かい側の山は“希望の丘”と命名された授産訓練場が建設されつつある。“福祉の時代”を象徴するような諸施設の整備によって、防地峠は今また大きく変わろうとしている。
(昭和59年5月 米丸嘉一)
写真【防地峠の頂上。君田村側。明治年間、旧道から離れて新道がつけられた。前方は藤兼の集落。】
◆次回は鳥越峠を紹介します。
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