新連載:ふるさとの峠と街道 その3-2
株式会社 菁文社
「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの峠 として2部構成でお届けします。
第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。
【上根峠(かみねとうげ/高田郡八千代町)その①】
― 移り変わる峠越え ―
峠は、太平洋戦争中に再度生まれ変わった。即ち、昭和15年(1940)6月
「旧道は近代交通の要求に副わず、運輸交通上の不便は蓋し甚大なるものありたり、茲に於て本県は、関係地方の文化並びに経済上に及ぼす損失の多大なるものあるに鑑み」(『工事概要』)て着工され、国を挙げて戦争に動員された時代であったにもかかわらず、三カ年の突貫工事で峠のほぼ全域2.5キロが全面的に改修された。今の国道54号線の原型が出来あがったのである。
その後、昭和28年(1953)に国道に昇格して全面舗装され、さらに38年(1963)には一級国道54号線となり、根の谷川の付け換えや、数個所の改良が行われ、今日に至っている。
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昭和44年(1969)に着工した上根バイパス5.6キロの工事は、北側部分1.9キロが53年に完成し、既に供用している。残る3.2キロは、3つのトンネルと5つの橋を含む大工事である。昭和62年(1987)の完成を目指して今進められている。
かつて『高田郡史』や新聞紙上で、上根峠の想い出話を語っておられた人々は、既に故人であったり、病床に臥して居られる。峠の昔を知っている人は次第に少なくなってゆく。やがてバイパスが完成し、峠越えをしなくても済むようになる頃、人々の記憶から上根峠の存在も消えてゆくのであろうか。(昭和55年11月 米丸嘉一)
写真【根谷断層による交通の難所。明治以降2回の改修により現在の姿となった】
◆次回は『盤之谷峠』その①を紹介します。
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