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三次の地域情報サイト「まいぷれ」三次市

連載:みよし街並み歴史散歩 その55

株式会社 菁文社

 弊社が2007年(平成19年)に発刊した「みよし街並み歴史散歩(三次・十日市・八次・酒屋 編)から一コラムづつ連載します。
三次の再発見があるかもしれません。
 なお、三次市は周辺町村との合併以後大きく変わりつつあります。発刊時期とのずれがあることはご了承ください。
  この「みよし街並み歴史散歩」は、B6判の単行本です。お求めは小社 TEL(0824)62 3057 または 三次市内の書店へご注文ください。

南畑敷町を歩く

 今、南畑敷町でたくさんの買い物客を集めている街並みと云えば、国道バイパスの沿道でしょう。ここには広い駐車場を設けた大型の量販店やスーパー、自動車販売店、それに飲食店や居酒屋も集まっています。まさに南畑敷町の〝新しい顔〟といってもよい所でしょう。
 しかし、この沿道のこのような賑わいは、せいぜい20年以内のことであり、それ以前の長い間、この町の中心はJR八次駅前辺りでした。駅は通勤通学客も多く、駅前は旧県道、後の国道183号と184号が交差し、駅周辺には飲食店、食料品店、居酒屋、自転車屋、理髪・美容院、それに倉庫・運輸業等々が集まり、駅前商店街をつくっていました。
 このように南畑敷町には国道、国道バイパスが通り、その上に江戸時代の街道である石見道(いわみみち/尾道・三原方面から三次経由赤名峠越え)と、備中新見道(三次から庄原・東城経由新見まで)が交わる旧街道の大部分が今も残っている町です。
 本書の街並み散歩は、この旧街道を西から東へ歩きながら、この町の歴史点描を試みてみましょう。
【和田商店〜三次高校辺り】 旧街道は十日市町の上原では旧国道と重なるルートです。ところが南畑敷町に入ると、とたんに和田商店の所で左に折れ、馬洗川の堤防に近づきながら、およそ300メートル余り直線路で東へ進み、やがて堤防上に出ます。途中の右側に地元では地蔵さん(棟札には「水明社」)と呼ばれる祠(ほこら)があります。
 ところが古地図を見ると、この辺りに南畑敷村の郷蔵(年貢納入蔵)、御制札場(藩の掲示板)、斗屋(はかりや/重量を計る公的施設)などの公的な施設があり、さらに安国寺市(寺の位置は不明)という市場もあります。この辺りが江戸時代の南畑敷村の中心部であったことがうかがえます。
 堤防に上がって少し進むと熊野橋が左に、右側には三次高校の校舎が見えてきます。
 三次高校は、その前身が旧制の県立三次中学で、明治31年(1898)、広島県下で3番目の県立中学校として誕生しました。最初は県立第三尋常中学校と呼ばれました。まもなく創立110周年を迎える伝統校です。地元では「三中」「三高」の名前で親しまれてきました。なお、戦後の高校再編成で三次西高校(県立三次高等女学校)と合併しています。この間、数多くの人材を輩出しました。校門の近くにはアララギ派の歌人・中村憲吉の歌碑があり、右を見ると倉田百三(くらたひゃくぞう)の文学碑も見えます。これらは文学で世に名をなした人たちです。(本誌P13の元NHK会長野村秀雄もこの学校の卒業です)
 憲吉の歌碑には、

  少年の吾れ山河に親しみてここに学べり二〇年(はたとせ)前は  (『軽雷集』)

とあります。
 なお、太平洋戦争の末期、この学校には広島の陸軍第二病院が疎開していて、原爆で負傷した多くの軍関係者を収容し治療しました。多くの死者も出しました。
 旧街道は再び堤防の下へおります。国道のバイパスがすぐ近くに迫ります。


【写真 南畠敷町の旧道】

◇   ◇   ◇

・・・つづく

基本情報

名称株式会社 菁文社
フリガナ株式会社 菁文社
住所728-0023 三次市東酒屋町306-46
アクセス国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m
電話番号0824-62-3057
ファックス番号0824-62-5337
メールアドレスgeibigrf62-3057@seibunsha-f.com
営業時間8:30~17:30
定休日土・日曜、祝日
駐車場あり
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