連載:みよし街並み歴史散歩 その53
株式会社 菁文社
弊社が2007年(平成19年)に発刊した「みよし街並み歴史散歩(三次・十日市・八次・酒屋 編)から一コラムづつ連載します。
三次の再発見があるかもしれません。
なお、三次市は周辺町村との合併以後大きく変わりつつあります。発刊時期とのずれがあることはご了承ください。
この「みよし街並み歴史散歩」は、B6判の単行本です。お求めは小社 TEL(0824)62 3057 または 三次市内の書店へご注文ください。
【比叡尾山城跡(ひえびやまじょうあと)】 地殻変動でできた険しい地形は中世の時代の山城を造るには、最適な条件です。比叡尾山城は、そうした要害の地と言えます。標高420メートルの山頂の本丸(ほんまる)を中心に全山を利用した大規模なもので、斜面を削って造成した郭(くるわ)と呼ばれる平坦面が約50あります。本丸には石垣も築かれ、近くには石組みの半地下式の穴蔵も残っています。その他、土を盛り上げて造った土塁(どるい)や、斜面に直行する竪堀(たてぼり)と呼ばれる戦国時代独特の堀もあります。さらに本丸東側の谷には、堅固な石垣で造られた館跡があります。戦国時代、戦争の時には城主以下一族が山城内で生活する習慣があり、そのために造られたと思われます。三次地方では最大規模の山城跡です。
30年ほど前に、本丸周辺の樹木が伐採され、はっきりと城跡の様子が見学できたのですが、その後、竹林が茂り、今では近づくことも容易ではありませんが、無理をすれば熊野神社裏から山道があり一時間くらいで本丸に至ります。
【岩屋寺(いわやじ)へ】 熊野神社の前の旧道を東に進み、岩屋寺川に突き当たる所を左折し、この川に沿って王之段(おおのだん)と呼ばれる台地をゆっくり進むと、岩屋寺の入り口に突き当たります。見上げるとかなり深い谷と急斜面に圧倒されますが、地元の王和会が作られた案内板が大いに助かります。車では林道を岩屋寺まで行くことができます。
「備後西国第一七番札所岩屋寺参道」の石碑から5分ほどで仁王門があり、長さ170センチの「大わらじ」が一対掛けられています。そこから急な山道で、しかも足元は石ころが多く要注意です。さらに大岩の間を縫(ぬ)うように登ると、谷川を隔てて左側の岩陰に和泉・河内国(大阪府)にある寺院名を刻んだ5体の石仏が目に入ります。
さらによく見ると、谷川に架かる石橋の側面に刻んだ文字が見られます。「補陀楽橋(ふだらくはし) 元禄2年(1689)」として地元の庄屋が寄進したとあります。補陀楽とは観世音菩薩が住む山という意味です。
また右側には最近建てられた小さな石の鳥居があり、潜って抜け、斜面に沿った山道を登ると、断崖絶壁のわずかな広場に朱塗りの建物があります。鎮守白山大権現剣大明神(はくさんだいごんげんつるぎだいみょうじん)です。戦時中に戦勝祈願で多くの参拝者があったそうです。
さらに谷を登り車岩(くるまいわ)と呼ばれている大岩を過ぎ、左折する所に地蔵堂があります。堂内には「天明元年(1781)大坂紀伊国屋三郎兵衛」が寄進した地蔵菩薩が安置され、壁には素焼きの手の平くらいの地蔵菩薩が数多く掛けられています。その地蔵堂を過ぎると岩屋寺に着きます。入口から途中の石仏等の見学時間をいれて、だいたい1〜1.5時間もあればよいでしょう。
吉祥山(きっしょうざん)真言宗岩屋寺は、昔は吉祥山多聞院と称していたようです。言い伝えでは、大同5年(806)に行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が創建し、また、暦応2年(1339)に足利尊氏が建物を造ったといいます。はっきりしていることは、三吉氏の崇拝が厚く室町時代に社殿を造ったり不動明王立像を寄進したりしています。木造阿弥陀如来立像(もくぞうあみだにょらいりつぞう/市重文)・不動明王立像(ふどうみょうおうりつぞう/同重文)があります。
境内からの眺めは素晴らしく、昔は三次で〝霧の海〟と云えば岩屋寺だったのです。またこの寺から三吉氏墓所に至る途中で左折すると、地元の王和会の方々によって造られた展望台に出ることができます。
【光(高)源寺跡(こうげんじあと)の三吉氏墓所】 岩屋寺から自動車の通行可能な林道を西に約200メートル行くと、三吉氏代々の菩提寺である光源寺跡に出ます。墓所は林道から約3メートル高く南方に張り出した尾根上にあります。一部石垣が残る二段に造られた平地に数十基の五輪塔・宝篋印塔(ほうきょういんとう)の墳墓があり、その中で三吉氏11代豊秀(とよひで)の妻で華屋栄春(はなやえいしゅん)と14代隆亮(たかすけ)の墓石(後世に作られたもの)の刻銘は読み取れますが、その他は明らかではありません。さらに東の端に3メートル四方の高さ50センチの土盛りがあり、表面にこぶし大の平らな河原石が散乱しており経塚(きょうづか)とも考えられます。
【井上佐渡守土居(いのうえさどのかみどい)屋敷跡と童子丸(どうじまる)屋敷跡】 この場所は三次自動車学校の上方から県道を挟んでその両側で、周辺の水田より約5メートルの高さで、そこだけ浮き出たような地形でした。県道によって分断されていましたが、道の北側の背後に土塁を築いて東西約40メートル、南北約60メートルの館の中心部分がありました。このような構えを土居(どい)といいます。古書にある「井上佐渡守宅址」にあたります。しかし宅地開発のため発掘調査の後、一部を残して削り取られてしまいました。調査では掘立柱建物一軒、井戸、溝、堀が見つかっています。特に堀は上部の幅約9メートル、底幅約3メートル、深さ約4メートル、長さ南北に約30メートルの箱薬研堀(はこやげんぼり)の形でした。井上氏は三吉家の縁者で家老職を勤めたとあります。なお、この館跡の北西300メートルの永福寺跡には井上佐渡守高重の石塔があります。
井上屋敷から北東300メートル、高台にある広い一枚田が童子丸屋敷跡です。江戸時代の庄屋屋敷です。この庄屋は三次浅野家とのかかわりが深く、浅野長治の娘・阿久利ら三姉妹がこの庄屋を訪れたことが記録に残っています。
【写真 比叡尾山城跡(ひえびやまじょうあと)】
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・・・つづく
基本情報
| 名称 | 株式会社 菁文社 |
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| フリガナ | 株式会社 菁文社 |
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| 住所 | 728-0023 三次市東酒屋町306-46 |
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| アクセス | 国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m |
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| 電話番号 | 0824-62-3057 |
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| ファックス番号 | 0824-62-5337 |
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| メールアドレス | geibigrf62-3057@seibunsha-f.com |
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| 営業時間 | 8:30~17:30 |
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| 定休日 | 土・日曜、祝日 |
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| 駐車場 | あり |
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