連載:みよし街並み歴史散歩 その22
株式会社 菁文社
弊社が2007年(平成19年)に発刊した「みよし街並み歴史散歩(三次・十日市・八次・酒屋 編)から一コラムづつ連載します。
三次の再発見があるかもしれません。
なお、三次市は周辺町村との合併以後大きく変わりつつあります。発刊時期とのずれがあることはご了承ください。
この「みよし街並み歴史散歩」は、B6判の単行本です。お求めは小社 TEL(0824)62 3057 または 三次市内の書店へご注文ください。
上町、栄町から太歳通りへ
これらの町のある場所は地形的に見ると、本通りより一段高い処です。これは西城川が沖積平地(ちゅうせきへいち)を形成する途中で地盤の隆起があり、それによって生まれた地形で、河岸段丘(かがんだんきゅう)といいます。三次の町は最初この段丘上に生まれたのです。
三吉氏が畠敷から居城を比熊山に移すに当たって、世直屋久亭(よなおしやきゅうてい)に命じて三次の町割りを命じたのも主にこの地域だったのでしょう。そして三吉広高が天正19年(1591)比熊山城を築いた時、ここが初めて城下町となりました。既に奈良時代に創建されていた太歳神社や吉祥院があり、これらの門前町でもあったのです。
【荒瀬外科とオランダ人捕虜】 恵比須神社の横の坂道を上り、右折して北に向かうと栄町です。荒瀬病院がすぐ左側にあります。この病院の初代院長の荒瀬秀俊(あらせひでとし)と、太平洋戦争中に三次に収容されていたオランダ人捕虜との心温まる親交について述べてみましょう。
捕虜はオランダ病院船の医師や看護士など44人で、現在の愛光保育所の敷地にあったカトリック系の託児所が収容所となっていました。
ある時、捕虜の一人が重い胃病にかかり、荒瀬病院に運び込まれました。戦争中、敵国人でしかも捕虜である人を、院長はとまどうことなく院内の看護婦を指揮して直ちに手術を施し、快復させました。“病人に敵味方は無い”という院長の考えだったのです。以後、院長と捕虜たちとの親交が深まり、帰国に当たっては院長宅でお別れの会までも行ったということです。
「Drアラセは最も親切で慈悲深い態度で、患者を救うために出来る限りを尽くしてくれた」(軍医長レポート/オランダ国立公文書館)
という記録が残されています。
・・・つづく
基本情報
名称 | 株式会社 菁文社 |
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フリガナ | 株式会社 菁文社 |
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住所 | 728-0023 三次市東酒屋町306-46 |
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アクセス | 国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m |
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電話番号 | 0824-62-3057 |
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ファックス番号 | 0824-62-5337 |
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メールアドレス | geibigrf62-3057@seibunsha-f.com |
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営業時間 | 8:30~17:30 |
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定休日 | 土・日曜、祝日 |
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駐車場 | あり |
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