連載:みよし街並み歴史散歩 その21
株式会社 菁文社
弊社が2007年(平成19年)に発刊した「みよし街並み歴史散歩(三次・十日市・八次・酒屋 編)から一コラムづつ連載します。
三次の再発見があるかもしれません。
なお、三次市は周辺町村との合併以後大きく変わりつつあります。発刊時期とのずれがあることはご了承ください。
この「みよし街並み歴史散歩」は、B6判の単行本です。お求めは小社 TEL(0824)62 3057 または 三次市内の書店へご注文ください。
【旧館内(きゅうかんない)】 中通りを更に北に進むと交差点に出ます。この一帯は旧三次町の中心部で、近世期には浅野五万石の御館があり、三次藩廃絶後しばらくは御館の建物は残っていましたが、やがて撤去されて町奉行の役宅や御鉄奉行多門(たもん)などが建てられました。近代には双三郡役所(後に地方事務所)、三次町役場、三次小学校、三次警察署などが集中していました。
現在では三次ふれあい会館(役場及び郡役所の一部)、広島みどり信金三次支店(三次警察署の跡地)、商工会議所(中国配電跡地)などがあり、小学校は元の位置、郡役所(地方事務所)跡地は大部分が道路になっています。
この四差路の北西側の街区一帯が三次浅野藩「御館」のあった所で、通称「旧館内」と呼ばれてきました。
【運甓居(うんぺききょ/県史跡)】 この交差点を左折して西に少し歩くと、右手の奥に茅(かや)葺の古い家屋が見えます。これは頼山陽の叔父に当る頼杏坪(らいきょうへい)が、三次町奉行をしていた文政11年(1828)から2年余りの間住んでいた役宅です。杏坪は中国の故事(陶侃(とうかん)という役人が、毎朝夕百枚の甓(しきがわら)を運んで他日の労に備えた)に因んで、「運甓居」と名付けていました。
館の跡地に建てられていますが、この時既に三次藩廃絶後百年以上も経っていますので、この時期には館の建物は取り払われていました。県史跡として指定されていますが個人の所有ですので、見学する場合は事前に所有者の了解が必要です。
内部は杏坪が特に気に入って使っていたという二畳の書斎や、縁側から臨む庭のたたずまいなど簡素な趣に杏坪の人柄が偲ばれます。以前はこの庭に松の老樹がありましたが枯死してしまいました。
【三次社倉(みよししゃそう/県史跡)】 役宅から元の通りに出るとすぐに、これも県史跡に指定されている「三次社倉」があります。もとは127平方メートルの規模でしたが火災により消失し、一部を復元したので外観は貧弱に見えます。しかし内部の木組みは立派なものです。
社倉は飢饉に備えて平素から米や麦を蓄えておくためのもので、広島藩では明和7年(1770)に社倉制度実施にふみきり、各町村ごとに設置しました。
市街地に江戸時代の社倉が残されることは稀であり、その上この社倉の大部分を頼杏坪が建てたと見られていたので消失が惜しまれます。
現在は個人所有で倉庫として使用されているので、内部の自由な見学はできませんが、現地に図面入りの説明板があります。
・・・つづく
基本情報
名称 | 株式会社 菁文社 |
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フリガナ | 株式会社 菁文社 |
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住所 | 728-0023 三次市東酒屋町306-46 |
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アクセス | 国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m |
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電話番号 | 0824-62-3057 |
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ファックス番号 | 0824-62-5337 |
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メールアドレス | geibigrf62-3057@seibunsha-f.com |
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営業時間 | 8:30~17:30 |
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定休日 | 土・日曜、祝日 |
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駐車場 | あり |
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