新連載:ふるさとの峠と街道 その14-①
株式会社 菁文社
「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの峠 として2部構成でお届けします。
第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。
【鳥越峠(とりごえとうげ/世羅郡甲山町)その①】
― 信仰心を高めた峠 ―
現在の国道184号線(尾道 ― 三次)は、古くから備後の西部を南北に貫く地方の重要道路として、交通運輸上多くの役割を果たして来ている。
鳥越の峠は、この路線が甲山町大字小世良(おぜら)において、旅行者の前に立ちはだかり、行く手を阻む難所であった。鳥のように翔(と)んで越えたら楽であろうと思った人たちが付けた名であろうか。甲山の街から峠を越えると、弘法大師の伝説が残る京楽という集落である。
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先史時代、獣道(けものみち)があったように、中国山地に住みついた人たちが塩や魚貝類を求め、本能的に南へ向かって旅をして、遂に瀬戸内海に行き当たった。そこに自然と道が開けていったのであろう。
この道は甲山町の南部を塞(ふさ)いでいる山並みの鞍部(鳥越の峠)を越えなければならなかったわけで、備後の西部山地に住む人たちと鳥越の峠とのふれ合いは、すでにこの時代から始まっていたのである。
大化の改新の際に設けられた国道(山陽道)が御調郡の北部を南西に走り、甲山町宇津戸(御調町市(いち)という説もある)に者度駅(いづとのえき)が置かれていたということから、この道は宇津戸において山陽道と十文字に交差しており、山陽道の支線道路として発達し、鳥越の峠は、各地で開かれる物々交換の市へ往来する人々に馴染まれるようになった。
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鎌倉時代の初め、世羅郡東部が大田庄と呼ばれ、紀州高野山の荘園になると、毎年1800石(3斗入り俵で6000俵)の年貢米を高野山へ送るため、人や馬によって尾道まで運び出さねばならなかった。その頃はまだ運搬車のようなものが無かったので、重い米俵は人や馬が背負って運んだのである。
鳥越の峠を登るのは正に地獄の苦しみであったに違いない。幸い峠の頂上には山から滴り出る清水があって、ここを水飲場にしていた。汗にまみれ、息を切らせながらやっとの思いでたどり着いて咽喉(のど)をうるおせば、これは地獄の苦しみを救ってくれる極楽水と思ったであろう。この自然の恵みは、有難い仏の御恩と感じとって、そこに数基の石仏や五輪石塔を祀った。最近までお賽銭や草花が備えられてあるのが見られた。
こうして、鳥越の峠とここを往復する人々との交流は、信仰にまで高められたのである。
写真【鳥越峠の麓、京楽口で国道184号に架かる眼鏡橋。明治40年に築造された当時、アーチ型石積橋は珍しく、近郷の人がわざわざ見に来たという。】
◆次回は鳥越峠その②を紹介します。
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基本情報
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フリガナ | 株式会社 菁文社 |
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住所 | 728-0023 三次市東酒屋町306-46 |
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アクセス | 国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m |
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ファックス番号 | 0824-62-5337 |
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メールアドレス | geibigrf62-3057@seibunsha-f.com |
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