新連載:ふるさとの峠と街道 その7-②
株式会社 菁文社
「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの峠 として2部構成でお届けします。
第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。
【妻坂峠(つまさかとうげ/高田郡甲田町)その7-②】
― 甦える峠 ―
近世期に入り「五龍山之麓、小原(おばら)、吉田へ相通じ候大道」=概ね今日の国道54号線に当たる=が生まれて以降も、「当村西北郷の者、今に古道を往来」していると記している。そのため、峠南麓の四軒屋の集落には可愛川の舟着場が設けられ、茶店や宿屋もあり、郡北方面からの人馬荷駄の往来でにぎわったという。
「吉田通れば四軒屋が見える。おかん(妻)恋しやほのぼのと……」馬子唄にも四軒屋が歌われた。「女郎谷」の地名も付近に残っている。
地元に住む中村義市(77)さんは「大正年間でも峠を越える人は多く、特に吉田の市入り(5月5日)の日や、甲立の牛市には、人や牛馬でラッシュが出現した」と懐かしそうに話してくれた。
しかし、交通機関の発達、特に昭和になって乗合バスやトラック輸送、それに県道の整備に伴って、峠を越える人は少なくなっていった。やがて、人々の記憶から妻坂峠が次第に消えてゆく頃、峠の草木も繁りだし、“忘れられた峠”になっていったのであろう。
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ところが、まさに降ってわいたように、9年前、広島県は、昭和48年(1973)から「価値ある自然の保存と文化財の連絡路」として、自然歩道の制度を創設した。妻坂峠は翌年、「郡山~甲田ルート」13.5キロとして指定されたのである。かつての産業・生活のための交通路としての峠から、自然保存・文化財のための交通路としての峠に脱皮したといえよう。
“峠のある自然歩道”妻坂峠は新しく生まれ変わった。県農政部自然保護課の調べによれば、昭和55年度に、この峠を訪れた人は約2600人であったという。
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それにしても、マナー低下のハンターの多い時代になったことを憂う。獲物がおると思えば「禁猟区」だろうと「自然歩道」だろうと、我がもの顔に侵入して来て、猟銃を発砲する。“峠歩き”が物騒になって来た。でも私は、こよなく峠が好きだ。(昭和57年5月 米丸嘉一)
写真【自然歩道に指定されてから、丸太を埋めて歩き易くしてある。】
◆次回は坂根峠を紹介します。
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