新連載:ふるさとの峠と街道 その8-①
株式会社 菁文社
「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの峠 として2部構成でお届けします。
第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。
【坂根峠(さかねとうげ/三次市)その8-①】
― 消えた峠 ―
昔、母はよく小学生の私に「卵を食べて行けば、坂根の坂が楽に登れる」と、朝食をしながら言っていたのを思い出す。
卵が効いたかどうか、今、思い出しようもないが、一里余りを徒歩通学する小学生の私に、坂根峠越えは楽ではなかったのをよく覚えている。上級生が下級生のカバンなどの持物を持ってやる慣習さえあった程である。
その上、学校では、峠の頂上近くにある天神さんについて、
「あそこは、昔、悪いことをした人が首を切られる所だった。子供は、あの辺に行かない方がよい。恐ろしいことがあるかも……」
誰言うとなく、そんな事がいわれていた。山の中腹に杉の巨木が繁り「首切り場」といわれる所があったのを覚えているが、それ以上のことを思い出せないのは、在学中に、あまりその辺に寄り付かなかったからであろう。
いずれにしても、子供心に受けた坂根峠の印象は暗く、もの淋しく、その上、しんどい峠であり、あまり良い思い出がない。
*
三次市西酒屋町の船所から、国道54号線を離れて北進し、山に入って、同町末元地区から同市十日市町下原の植松地区、鷺(さぎ)神社の西側に下るルートがある。これが坂根峠であり、別名、火打坂(ひうちさか)ともいい、もとの雲石街道である。
『芸藩通志』は、「雲石路」の説明の中でこの峠を、「西酒屋村、廿七町=火打阪(坂)七町の登り険なり、原村三十二町=坂根峠七町の阪(坂)、険なり、里堠、峠にあり」としている。
西酒屋村の火打坂七町と、原村の坂根峠七町が一つのルート上にあり、頂上を挟んで南北1.5キロであるという。しかし、いづれの側からも、急峻であることを強調している。
峠は、三次盆地の南の入り口に当たり、頂上からは、盆地の一部も遠望できる。おそらく、はるばる三次をめざして来た人は、この峠の頂に立って、出迎えの人に迎えられながら、三次到着を喜んだことであろう。三次を去って行く人は、峠の頂に立って、見送りの人と尽きぬなごりを惜しんで別れたことであろう。峠は、三次の人々の悲喜哀歓を深くしみ込ませているようだ。
寛永年9年(1632)、畠敷村の源兵衛も、百姓惣代として、三次藩初代藩主浅野長治をこの峠に出迎えている(高橋家記録)。他にも、この峠までの見送りや、出迎えをしたという民間の記録もいくつか伝えられている。
◆次回は坂根峠その②を紹介します。
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基本情報
名称 | 株式会社 菁文社 |
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フリガナ | 株式会社 菁文社 |
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住所 | 728-0023 三次市東酒屋町306-46 |
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アクセス | 国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m |
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電話番号 | 0824-62-3057 |
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ファックス番号 | 0824-62-5337 |
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メールアドレス | geibigrf62-3057@seibunsha-f.com |
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営業時間 | 8:30~17:30 |
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定休日 | 土・日曜、祝日 |
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駐車場 | あり |
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