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三次の地域情報サイト「まいぷれ」三次市

連載:みよし街並み歴史散歩 その57

株式会社 菁文社

 弊社が2007年(平成19年)に発刊した「みよし街並み歴史散歩(三次・十日市・八次・酒屋 編)から一コラムづつ連載します。
三次の再発見があるかもしれません。
 なお、三次市は周辺町村との合併以後大きく変わりつつあります。発刊時期とのずれがあることはご了承ください。
  この「みよし街並み歴史散歩」は、B6判の単行本です。お求めは小社 TEL(0824)62 3057 または 三次市内の書店へご注文ください。

【旧鳥居橋〜八次駅界隈】 旧街道はやがて以前の国道183号(現在は市道)と交わります。すぐ左に旧鳥居橋があります。昭和41年(1966)、上流250メートルの所に畠敷バイパスの新鳥居橋が架けられてからは市道となりましたが、地元の人たちの生活路、通勤・通学路として、今も橋は大切な役割を果たしています。この橋は大正9年(1920)に架けられました。当時の新聞は「県下第一の長い橋」と讃えています。その長さは223メートルです。

【田丸醤油醸造】 醤油“霧の海”で有名です。創業は明治23年(1890)で老舗の醤油メーカーです。しかし、最近の醤油醸造は各種の原料で仕込みの過程までは専門の醸造元へ依頼し、中間製品を購入してメーカー独特の味に仕立てる方法に変わっているそうです。

【千日原地蔵尊】 旧街道の脇にあります。昭和50年(1975)に馬洗川の改修でここに移されました。それまでは、この付近を転々としていました。眼病に効く地蔵さんとして付近の人たちに尊崇されてきました。堂内の由緒書によると、
『眼病を患う付近の農夫の夢枕に、ずぶぬれの地蔵菩薩が立ち「緑岩の渕に沈んでいる、早く救い上げて適当な場所に祀るよう」とお告げがあった。農夫は指示されるままに、これを救い上げ祠に祀った。眼病はたちどころに治ったという。以後、この地蔵さんは眼病に効く仏様となったという。』
 堂内には穴のあいた河原石がいくつも供えられています。

【JR八次駅】 大正11年(1922)、私鉄の芸備鉄道の一駅として設置されました。この芸備鉄道は大正4年(1915)、広島から現在の西三次駅(当時は三次駅)まで開通し営業を始めました。引き続いて庄原までの工事に着手し、ようやく大正11年(1922)に塩町駅まで開通、この年、八次駅が誕生したのでした。ところが十日市駅が設置されるのは昭和5年(1930)のことであり、それまでの一15年間は西三次駅の次は八次駅だったのです。従ってこの15年間、八次駅は十日市の東の玄関、西三次駅は西の玄関の役割を果たしていたのです。

【宗祐(みのすけ)池と八次井堰(いせき)】 庄原分かれ交差点を約200メートル、国道184号を東に進むと国道と、鉄道をまたぐ跨線橋があります。この道路は三次工業団地への取り付け道として整備されたものですが、その途中に宗祐池があります。この池は江戸時代の中期に造られたもので、何度か改修されていますが、最近の大改修は昭和58年(1983)であったことが記念碑に刻まれています。潅漑用水池としては市内最大級のもので、南畑敷町内の水田約25ヘクタールを潤しています。
 宗祐池が南畑敷町にとって大切な灌漑用水池であるなら、これと対称的に八次井堰は対岸の畠敷町にとっても大切なものです。昔から畠敷町は灌漑用水が不足する地域で、水稲耕作は大変な苦労でした。明治初年に馬洗川に木工沈床式の最初の井堰ができ、その後、洪水により何度か流されましたが、その都度、補修・改修を重ね、昭和に入るとコンクリートの井堰になりました。昭和8年(1933)には完成祝賀行事で「井出踊り」が披露されたほど、地域の人たちの関心と期待を集めている施設です。戦後は昭和39年(1964)から2年がかりで改修され今日に至っています。



【写真 旧鳥居橋】

◇   ◇   ◇

・・・つづく

基本情報

名称株式会社 菁文社
フリガナ株式会社 菁文社
住所728-0023 三次市東酒屋町306-46
アクセス国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m
電話番号0824-62-3057
ファックス番号0824-62-5337
メールアドレスgeibigrf62-3057@seibunsha-f.com
営業時間8:30~17:30
定休日土・日曜、祝日
駐車場あり
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