地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、三次の地域情報サイト「まいぷれ」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

三次の地域情報サイト「まいぷれ」三次市

連載:みよし街並み歴史散歩 その52

株式会社 菁文社

 弊社が2007年(平成19年)に発刊した「みよし街並み歴史散歩(三次・十日市・八次・酒屋 編)から一コラムづつ連載します。
三次の再発見があるかもしれません。
 なお、三次市は周辺町村との合併以後大きく変わりつつあります。発刊時期とのずれがあることはご了承ください。
  この「みよし街並み歴史散歩」は、B6判の単行本です。お求めは小社 TEL(0824)62 3057 または 三次市内の書店へご注文ください。

畠敷、四拾貫町を行く

 畠敷町は広域農免道(県道和知(わち)・三次線)の開通で町の様相が一変しました。今から約20年前、三次町寺戸、畠敷、四拾貫を通って国道183号と結ぶ道路が敷設されてからのことです。それまでのこの辺りは、上畠敷のなだらかな斜面と馬洗川が造った沖積平地は一面の水田で、その中を市道がぐねぐねと通っていました。ところが県道の開通以降、中央卸団地を始め各種の商店、スーパー、自動車販売修理、居酒屋それに各種の医院が進出し、今では畠敷町のメインストリートになりました。
 本書では、この県道を主要ルートとして、西(寺戸側)から東へ歩いてみましょう。

【西善坊(さいぜんぼう)と西福寺(さいふくじ)】 どちらも浄土真宗の西本願寺派の寺院で、西善坊は下畠敷の馬洗川寄りにあります。永承2年(1506)に世羅郡上山村(三次市三和町上壱)からこの地に移って来たものです。一方、西福寺は四拾貫町の南の端に位置し、国道183号に近い位置です。中世のこの地方の領主三吉隆亮(みよしたかすけ)の一族である長岡清高(ながおかきよたか)が出家して信良(しんりょう)と称し、最初、後山(うしろやま)村(三次市後山町)で開基、後にこの地に移りました。故あって一時、三上郡高門村(庄原市山内町)に移りましたが、再びこの地に出ました。後山町には今もその跡地が残っています。

【熊野神社(くまのじんじゃ)辺り】 三次盆地の北と南では、まるで地形が違います。畠敷町の北側で東西に連なる山地は、第四紀更新世と呼ばれる時期の今から70万年前の地殻変動によって隆起した断層地形で、平地からいきなり急な山になっています。
 その山の麓にあるのが熊野神社です。鳥居にも刻まれているように、古くは若一王子権現(にゃくいちおうじごんげん)と呼ばれていましたが、明治5年(1872)に改称されました。境内に入ると根回り6.55メートル、胸高幹囲4.8メートル、樹高約25メートルの大きなシラカシ(県天然記念物)が目に入ります。さらに一段高い拝殿の左側には宝蔵(ほうぞう/同重文)があります。奈良の正倉院で有名な校倉造り(あぜくらづくり)とほぼ同じ構造で部材の一部には絵があり、校倉建築にこのようなものがあるのは大変珍しいそうです。一説によると中世に三次盆地西方一帯を支配していた三吉氏によって、室町時代末期に建築寄進されたともいわれています。
 戦国時代には毛利・尼子氏の抗争に巻き込まれ、その際、社殿を焼失し、三吉氏が再建しています。なお現在の本殿は江戸時代の再建です。この他、三吉氏によって寄進された鉄製釣灯籠(てつせいつりどうろう/県重文)や金銅製板塔婆(こんどうせいいたとうば/同重文)が所蔵されています。
 なお、若一王子とは後の雄略天皇のことで、王子は兄弟間の争いを避けて、一時この畠敷の地に住んでいたといわれています。「王子」「王子谷」「王の段」などの地名はこの伝説に因るものです。
【土会寺】は熊野神社の裏にあります。2段に造られた平地の前面の古そうな石垣と石囲いの池の跡が寺であったことを物語っていますが周囲は民家が立ち込み、寺らしい雰囲気は全く感じられません。もともとは熊野神社の別当寺(べっとうじ)で、山号を庶那山(しょなざん)と称しました。寺の縁起はよくわかりませんが、三吉氏の保護のもとにあったようです。現在は境内地に如来堂が建てられ、中に室町時代の作と伝えられる高さ50センチの木造大日如来坐像(もくぞうだいにちにょらいざぞう/市重文)が安置され、地元で大事に護られています。

【殿敷(とのしき)・今市(いまいち)・五日市(いつかいち)】 鎌倉時代から室町時代まで、三次盆地西方を支配した三吉氏には二つの系統がありました。いずれも、そのルーツについては不明な点が多く、残された史料から解明することは困難ですが、畠敷町の背後にある比叡尾山城跡は三吉氏の居城として栄えていたことは間違いありません。一族や家来は最初から比叡尾山城に居住していたのではなく、麓のどこかに館を構えていました。その場所を今では特定することは困難ですが、小字名で殿敷(とのしき)と呼ばれる現在の中央卸団地付近に求めることは可能です。以前は恵木谷川に殿敷橋と書かれた石橋がかかっていました。
 さらに殿敷から馬洗川沿いに今市(いまいち)・五日市(いつかいち)の小字名があり、三吉氏の館を中心に定期市場が開かれていた様子が想像されます。芸北地方に伝わる田植草子(たうえぞうし)の一節に、

  網笠は茶屋に忘れた 扇子は町で落いた 
  買うてまいせう 今度の三吉町で

とあり、「三吉町」はこれらの定期市のことかもしれません。戦国時代の終わりごろ、三吉氏は居城を比叡尾山城から三次町の比熊山城に移しますが、それにともなって五日市が移動し、現在の三次町の五日市となったのです。


【写真 岩屋寺展望台から望んだ畠敷町一帯】

◇   ◇   ◇

・・・つづく

基本情報

名称株式会社 菁文社
フリガナ株式会社 菁文社
住所728-0023 三次市東酒屋町306-46
アクセス国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m
電話番号0824-62-3057
ファックス番号0824-62-5337
メールアドレスgeibigrf62-3057@seibunsha-f.com
営業時間8:30~17:30
定休日土・日曜、祝日
駐車場あり
関連ページホームページ
こだわり

まいぷれ[三次市] 公式SNSアカウント