地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、三次の地域情報サイト「まいぷれ」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

三次の地域情報サイト「まいぷれ」三次市

新連載:ふるさとの峠と街道 その10-②

株式会社 菁文社

「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの峠 として2部構成でお届けします。
 第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
   このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。



【便坂(びんさか/双三郡作木村)その②】

― ドライバー泣かせの難所―

 便坂の麓に住み、峠の想い出のつきない上作木の福島トシコさん(81)は、
「冬に反物を織るのが女の仕事で、一冬(ひとふゆ)に十反ぐらい織ったでしょうか。糸を三次まで買いに行くのにこの便坂を越えるんですが、昔山賊が出たとか、頂上に刑場があって、そこで血刀を洗ったため水が飲めない“飲まず谷”の伝説が残っているやらで、峠越えは昼でも恐ろしかったので、私はいつも棒を持って歩いたもんです」
 福島さんは、峠道を走る車を横目に見ながら、難儀な峠越えの昔を語ってくれた。
 戦局が厳しくなった昭和18年頃、軍用材を運び出すため、それまで人馬しか通れなかった細道を、荷車の通れる道幅2メートルに拡張し、迂回路を少なくして現在の道筋になった。その後昭和46年(1971)石ころだらけのこの道も、上布野から作木村湊(みなと)まで、約9キロが完全舗装され、道幅も3.6メートルに整備された。しかし最大勾配は九度(現在の道路構造令で定められている最急勾配は約五度)という急勾配のこの便坂は、冬期積雪時には交通が杜絶することもあって、作木・布野両村から、峠に全長500メートルのトンネルを掘削してほしいとの要望が起こり、昭和47年になって便坂トンネル開設期成同盟会を結成し、県に陳情書を提出した。しかし、折り悪しくこの年県北一帯は集中豪雨に見舞われ、作木・布野両村も大水害を蒙むり、その復旧工事を優先させるため、この運動は残念ながら立ち消えになってしまった。
 現在主要地方道作木 ― 布野線の一部である「便坂」は県土木の管理によって、冬期積雪時には除雪車を出動させるため、従前のように交通が杜絶することはなくなったが、雪の壁で道幅の狭くなった峠での車の離合は困難を極め、凍結時のスリップの危険も大きい。こうしたこともあって、作木・高宮の一部、それと島根県羽須美村と国道54号線を結ぶ生活路線として、今も峠の整備を求める声はつきない。
 上作木からの帰路、頂上附近でノロノロと先を走る定期バスに追いついた。乗客は4、5人。頂上のバス停に止まる様子もなく、布野方面へ下って行った。聞くところによると、このバス停は山仕事に従事する地元の人の便宜を図って設けられたのだそうだが、最近は山林労務者にはマイクロバスが肩代わりしているので、今では山菜やキノコ狩りを楽しむ人が、たまに利用するだけのバス停となった。
 便坂峠は、かつて小鳥の囀りを聞きながら額に汗して峠越えをした先人達に代わって、今はあわただしく車の排気音を残して駆けぬける、機能本意の峠道になったようである。
(昭和58年7月)


【写真:“大曲り”とよばれる布野側の坂。遠く布野が眺望できて景色がよい】



◆次回は王貫峠を紹介します。



◇   ◇   ◇

基本情報

名称株式会社 菁文社
フリガナ株式会社 菁文社
住所728-0023 三次市東酒屋町306-46
アクセス国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m
電話番号0824-62-3057
ファックス番号0824-62-5337
メールアドレスgeibigrf62-3057@seibunsha-f.com
営業時間8:30~17:30
定休日土・日曜、祝日
駐車場あり
関連ページホームページ
こだわり

まいぷれ[三次市] 公式SNSアカウント