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新連載:ふるさとの峠と街道 その9-②

株式会社 菁文社

「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの峠 として2部構成でお届けします。
 第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
   このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。



【尾引坂(おびきざか/庄原市)その②】

― 忘れられた尾引峠(垰)―

 旧街道の峠の頂上、市場の西端に当たる所に薬師如来の小祠堂があり、市場の東端に当たる付近、法寿院跡と称されている所に観音堂がある。薬師と観音、峠の市場の両端の、いかにも面白いコンビである。
 通行者は、その道中の安全を願い、市の商人は商売の繁盛を願う。いづれも具体的、現実的な願いである。それを「如来」と「菩薩」の中の最も現世利益を与えるとされる仏を取り揃えているのである。素朴な庶民の信仰心にふれたようで興味深い。
 今日、我々が生活のために峠を歩くという時代は、ほぼ終わっているといってよい。つまり、峠の社会的機能は終わっている。峠の細道はおそらく、時の流れの中に埋没し、雑草と灌木におおわれて廃道になるものが多いであろう。しかし、私は、一見消えかかった峠の細道が、次つぎに蘇生して来ることもあろうと信じている。今後は、生活のためではない峠越えが盛んになって来るにちがいない。峠は現代人にとって、実に大きな意味を持っているからだ。
 我々の先人達が、生活のために汗にまみれて歩いた峠、それゆえに多くの伝説、文学、信仰の証を遺した峠――その峠を自分の足で踏みしめ、峠の本質(境界性、遮断性)に照らして検証してみることは、先人達の人生を追体験することになる。そして、それは日本人の歴史を体で確かめることにもなるのだ。
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 明治の県道の敷設以来75年間、この間、交通機関はさまざまに発達をして来たとはいうものの、尾引坂越えのルートは、明治・大正・昭和、そして戦後も一貫して変わらなかった。多くの人々に生活の道として、行楽の道として親しまれた峠としての尾引坂は変わらなかった。その間、昭和28年(1953)には国道に昇格している。しかし、昭和30年代から始まった国道改修工事により、昭和40年頃には、舗装二車線で直線コースの尾引坂となって生まれかわった。さらに昭和52年(1977)には中国自動車道が旧県道・国道を高架で横断し、旧街道を切り通しで抜いて東西に貫通した。尾引坂付近の様相は一変した。
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 寒中にしてはわりと暖かい日和の午後、旧街道の面影を最も残している和知地区側へ下る道を歩いていたら、養老院「寿園」の老人が数人、日だまりで話して居られた。私は、尾引坂90年の今昔の感想を聞こうとして近寄ったが、あまりにも楽しそうな話し振りに、ついにそれを切り出せなかった。(昭和58年5月 米丸嘉一)

【写真:尾引市場と旧道。賑わった昔の面影はない。前方に山王神社の森が見える】



◆次回は便坂峠を紹介します。



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基本情報

名称株式会社 菁文社
フリガナ株式会社 菁文社
住所728-0023 三次市東酒屋町306-46
アクセス国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m
電話番号0824-62-3057
ファックス番号0824-62-5337
メールアドレスgeibigrf62-3057@seibunsha-f.com
営業時間8:30~17:30
定休日土・日曜、祝日
駐車場あり
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