新連載:ふるさとの峠と街道 その6-②
株式会社 菁文社
「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの峠 として2部構成でお届けします。
第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。
【破堂峠(やぶれどうとうげ/三次市)その6-②】
― かつては牛の受け渡し場所 ―
そして今一つ、「破堂」の名を売った理由があった。戦前、毎年11月11日と12月21日は久井の市(御調郡久井町)へ送る牛が全てこの「破堂」に集められ、飼い主から博労へ受け渡す場所になっていたからである。比婆郡や三次の牛がこの峠を埋めつくしたといわれ、その賑わいを知る上田町の加藤島都さん(72)は
「そりゃあー賑やかなもんでしたのー。破堂の辺にゃあ牛がズラーッと並んで、300頭はいたでがんしょうかのー。その牛についてくる飼い主や、それを買う博労がおって、人がこっちんこするようなでしたのー」と、当時の模様を述懐する。
ここで取引された牛は“追い子”によって久井まで連れていかれた。昭和の初め頃、その追い子をやった加藤さんは
「のそり、のそり歩く牛の列は一里ぐらいもあったじゃろうか。一人が3頭の牛を受持って、一日がかりで久井へ連れて行くんじゃが、素直な牛ならええが、ねじれかやぁて、途中で座りこむ奴もおって、なかなか歩きゃあしませんけぇのー。それで駄賃は20銭じゃったと思うが、当時としちゃあ悪くはなかった。帰りは一箱六銭のみかんを土産に買ったもんです」
その賑わいも戦時色が濃くなると共に消えていき、この道は沿線住民だけの生活路線になった。そして今、この峠は、時おりクラクションが響くばかりのひっそりとした道。谷間に見える農家の戸は固く閉ざされ、人影も見えない。バスは塩町中学のスクールバスを兼ねて、朝と夕方の一往復だけ。
「病院へ行くのも一日仕事。それに三次まで片道600円じゃけえ、昼飯を食べりゃあ2000円仕事ですよのー。それでもバスが通ってくれるだけでも助かっとります」と溜息まじりに話してくれたのは、上田町持田に住む春田義正さん(79)。
「嫁さんの来てがないですよのー。娘さんはおっても、上田と聞いただけでむずかしいのに、その上百姓をしとります、と言やあ、それまでですが」と苦笑する。
上田小学校の生徒数も、年毎に減って現在17人。最も多いときは131人いたというから、隔世の感がする。その過疎対策の一つとして、58年度完成を目指して峠の道路整備が着々と進んでいる。全線2車線、バイパスを含め「破堂」は2度目の変身を目前にして、今日もショベルカーが騒音を響かせていた。(昭和56年11月)
写真【峠の両側はうっそうとした杉林。ここを通り抜けると棚田が見えてくる】
◆次回は妻坂峠を紹介します。
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基本情報
名称 | 株式会社 菁文社 |
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フリガナ | 株式会社 菁文社 |
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住所 | 728-0023 三次市東酒屋町306-46 |
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アクセス | 国道375号線三次工業団地口交差点より北へ850m |
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電話番号 | 0824-62-3057 |
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ファックス番号 | 0824-62-5337 |
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メールアドレス | geibigrf62-3057@seibunsha-f.com |
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営業時間 | 8:30~17:30 |
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定休日 | 土・日曜、祝日 |
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駐車場 | あり |
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