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新連載:ふるさとの峠と街道 その5-1

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新連載:ふるさとの峠と街道 その5-1
「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの峠 として2部構成でお届けします。
 第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
   このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。



         【馬通峠(まどうしとうげ/双三郡三和町)その5-①】
― 三代のプロフィール ―

 峠の頂上附近に立って、登って来る車輛の数を数えたが、1分間に2台も通らない……。日曜日だというのに、峠は静かである。両側の山からたえずウグイスの声が聞こえて来る。馬通峠には、田舎の静かさが未だ残っているようだ。
         *
 馬通峠は双三郡三和町羽出庭(はでにわ)にあり、高田郡甲田町長屋(ながや)に接している。県道世羅 ― 甲田線と、羽出庭 ― 三良坂線が峠の頂上附近で交わっている。交差点であるためか、何種類もの道路標識や立看板が立ち並び、ここだけはさながら都会なみである。
 峠地名の由来を聞いたら、急峻な坂道のため、馬も倒れる=馬倒しが訛ったものと、もう一つは馬しか通れない=馬通し(この附近は)だという。なだらかな老年期の山地ではあるが、旧道(明治以前)であったといわれる附近は、かなりの坂であり、馬が倒れるという方に実感がある。
         *
 峠に追剥(おいはぎ)の話はつきものである。
 大蔵(おおぞう)に住んでいた追剥貞六(じょうろく)の話は有名である。貞六は、峠を越える人々の持物を略奪するのみか、時には人を殺し、安瀬平山の峡谷“ヒトオトシの谷”へ投げ込むなど、悪虐非道なことをしていた。
 或る日、通りかかった一人の旅人を、いつものようにおどして持物を取りあげた上、一刀のもとに袈裟斬にした。ところが、斬ったと思ったのは人ではなく、羽出庭にあった大仙神社の御神体であった。これに気付いた貞六は、さすがに懺悔(ざんげ)の情に堪えかね、持っていた刀を近くの池で洗い浄め、自らの命を絶ったという。
 御霊社に合祠されている大仙神社の御神体は、今も刀の疵(きず)が残っているという。又貞六が刀を洗った池は「刀ケ池」といって最近まで残っていたし、貞六が使ったという砥石は「貞六砥石」といい、3、40年前まで附近の人々が使っていたともいう。
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 下板木に住む木原二男さんは「追剥の話はよく知らないが、そんな話があっても不思議ではない。子供の頃、高地(こうち)(甲田町長屋)の親戚へ家の用事で使いに行く途中、峠を越していたが、頂上付近は杉や桧がうっそうと茂り淋しいところだった」と昔の話をしてくださった。

写真【旧道に沿う民家は廃屋となり、荒れ果てている。忘れられた峠の一齣である】

◆次回は馬通峠その5-②を紹介します。



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