新連載:ふるさとの峠と街道 その4-1
株式会社 菁文社
「ふるさとの峠と街道」は、第1部 ふるさとの街道、第2部 ふるとさの峠 として2部構成でお届けします。
第1部「ふるさとの峠」は、昭和54年(1979)5月から「げいびグラフ」誌上に“峠を語る”シリーズとして21回にわたって連載したものです。今では交通機関の多様化とこれに伴う土木技術の発達により大巾な改修がすすみ、峠は旧来の峠としての機能を失って、峠の存在すら忘れ去られています。
このたび、あえて連載当時の記述に修正を加えることなく取材当時の内容を再掲し峠を歴史の証として伝えることにしました。
【盤之谷峠(はんのやとうげ/庄原市)その①】
― 出雲街道の難所 ―
盤之谷峠は、庄原市と比婆郡比和・高野両町を結ぶ県道庄原 ― 新市線最大の難所である。
寒波のゆるんだ2月のある日、庄原では道に砂ほこりが舞っていたのに、峠を登るにつれて雪は深く、狭い道は雪の壁でさらに狭く、急なカーブに轍の跡が線路のようにうねうねと続いて、車の運転も油断できない危っかしさである。
峠の頂上にある盤之谷地区は標高585メートル、戦後しばらくはスキー場があったほどの積雪地帯である。庄原土木事務所では、この峠を利用する住民の苦難を解消するため、昭和48年(1973)この峠を回避したバイパスの建設に着手し、既に2本のトンネルを含む2車線の道路が部分開通して、車社会はその恩恵に浴している。
そもそもこの盤之谷峠は出雲街道の要路にあって、幅三尺のこの細い峠道を、人馬にたよって鉄・米・木炭等の生活物資が運ばれていたものである。天文5年(1536)には尼子の軍勢1200騎が、また天亀3年(1572)には山内豊通の手勢250騎が、何れも戦国武将の雌雄をかけてこの峠越えをしており、近世になっては恵蘇郡で大規模な百姓一揆が続発し、徒党を組んだ百姓が激しく往来したのもこの峠である。
明治34年(1901)、この街道は県道庄原 ― 新市線として拡幅大改修が行われ、これまでの急な坂道をさけて山腹を迂回させたため、全長約9.2キロと殆ど旧道の倍近くまで延びた。これが現在の峠である。
この新道ができて物資の輸送は益々盛んになり、荷車や荷馬車が行き交い、峠では五軒の茶店が馬方などで賑わったという。
当時比和町から搬出される主な物資は米と木炭であったが、中でも木炭は火持ちがよく、火力が強い木炭として大正年間には「比和炭」と呼ばれて好評を得、昭和10年(1935)の記録では約20万俵(1俵=15キログラム)が生産され、その多くは町外へ、遠くは広島の市場まで出荷されていた。
こうした比和からの荷車の往来が頻繁なのに目をつけて、峠の麓では「押子(おしこ)」と称する人夫が何人か出現し、頂上まで荷車の後押しをして賃金稼ぎをしていたという。これは特に比和側の勾配がきつかったためと思われる。
写真【旧盤之谷峠頂上より中国山地を臨む】
◆次回はその②を紹介します。
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